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佐助が夕方から店に出勤しなければならないので、
二駅先の駅周辺で買い物を楽しんだ
「あ!確かここ…」
軽食をとった帰り道、町並みを見回していた慶次が小さな声を上げ突然走り出す
佐助も後を追うと、低い植え込みに囲まれた教会が現れた
「懐かしいなぁ…」
慶次は木造の年数を感じさせるその建物を見上げる
「来たことあるの?」
佐助が問うと、慶次は満面の笑みを浮かべた
「ずーっと小さい頃なんだけど、利とまつねぇちゃんの結婚式やったんだ。
この教会で」
そういうと、昔を思い出すように目を細め、視線を教会に戻した
「慶ちゃん、入ってみよう」
佐助は慶次の手を取り、敷地内へ踏み出した
「え…いいのかな」
「いーって、誰もいないし、神サマ拝みに来たってことにしとけばOKでしょ?」
悪戯っぽく笑う佐助の言い方が彼らしくて慶次も小さく笑った
「そーだな!よし!教会の中に入ってみようぜ」
教会の中は静まり返っていた
敷地の門だけでなく教会の扉も開けっ放しで
実際誰が来ても問題ないのだろう
ミサも行われているのだろうが夕方前のハンパな時間帯のせいか
並んだ木造に椅子に座り、祈りを捧げる者の姿はなかった
「…なんか、綺麗だね」
さっきまでの軽い調子を消して、佐助はポツリと呟いた
傾き始めた山吹色の光がキリスト像の背面や左右のステンドグラスから
差込み教会内を照らしている
斜光を浴びながら慶次と佐助は椅子に座った
「俺は一番前に座って、こうやって通路を一生懸命覗いてさ、
そしたら向こうの扉から真っ白いドレスきた綺麗な女の人が来て…
普段も何度かまつねぇちゃんに会ってたんだけど、もうビックリするくらい綺麗で、お姫様が来たって思ったね」
慶次は「今は鬼ねぇちゃんだけどな」と笑った
「何歳頃?」
佐助はたしか慶次は両親をなくし叔父夫婦に育てられたと言っていたのを思い出した
「さぁ…10才前後かな。利なんかさ、神父さんの横でガチガチに緊張してて…
可笑しかった〜」
「慶ちゃんのお父さんはもう…?」
「うん。小学校に上がった頃に。すぐ利が引き取ってくれて、そのうち利が結婚してまつねぇちゃんと三人暮らし」
佐助は根掘り葉掘り人の事情を聞き出すのは自分らしくないと思いながらも
慶次のことが知りたかった
「お母さんは?」
「母さんは俺を産んですぐ死んだらしい。
父さんのこともぼんやりとしかわからないな…でも夕方おんぶしてもらってた
記憶はあるよ。利が言ってたけど父さんは病弱だったから
俺は殆ど保育所に預けられてたんだけど、毎日時間になると父さんが
迎えに行ってたって…だからきっとその時の記憶じゃねーかな」
慶次は少し寂しそうに正面のキリスト像を見た
「俺もね、両親はいない」
佐助の言葉に慶次はその横顔に視線を移す
「そうなんだ…病気?」
「さぁ、知らない。俺は児童施設で育ったから」
「そっか…俺は利もまつねぇちゃんもいたけど…佐助さんは」
「似たような子がいっぱいいたから別に寂しいとかは思ったことないけど…」
佐助は言葉を切り苦笑した
「なんか、俺様らしくないねぇ湿っぽくて!慶ちゃんもいつかここで式挙げるの?」
「へ?え?!俺?」
突然話が切り替わり、慶次は目を泳がす
「結婚したいって思うような子が出来たら、幸せな叔父さん夫婦みたいな
家庭を築くんだろ?」
佐助は自分の言った言葉に胸がチクリと痛んだ
真っ赤になって照れるかと思いきや慶次の表情は冴えなかった
「俺…たぶん結婚しないと思う」
「え?どうして…」
「わかんないけど…なんか、怖い」
「怖いって…どういう意味?」
「わかんない。でも…俺、今のまんまでいいかな。政宗がいるし」
どうして政宗が出てくるのか疑問に思っていると
慶次は「あ!佐助さんも側にいてくれるから!」と照れ笑いをしながら付け足した
「慶ちゃんと政宗達って大学からの付き合い?」
「あいつ等は中学からの腐れ縁!中高一貫でさ、政宗の親父さんが理事長なんだ。そんで元親の親父さんと親友なんだってさ。本業の仕事が忙しいから
理事長なんて名前だけだって政宗が言ってたなぁ。
元親と俺は同じ年だけど政宗は一つ下なんだ」
「へぇ…」
佐助は政宗が年下と聞いて驚いた
「じゃぁ、慶ちゃんの後を追って高校、大学って来たわけか」
「?高校も大学も一緒に入学したけど」
「え?だって一才上なんでしょ慶ちゃん。一緒に入学って…?」
「あー…俺、最初の年に受験できなくて一年ズレてんだ」
慶次はバツが悪そうに頭を掻く
佐助は驚きを隠せずにいると、それを察したように慶次が続けた
「中三の時、病気して…入院してたから」
「一年も?何の病気?」
健康そのものに見える慶次だが父親の虚弱体質を受け継いだのか
佐助は途端に心配になった
「さぁ…なんの病気だろ…実はよく覚えてないだ…中学の頃は…」
「…?」
「病院の部屋の窓から見える景色とか、毎日飲む薬とか…断片的な記憶しかなくて」
慶次はぼんやりした目でステンドクラスを見つめた
「政宗…政宗が側でずっと…何か言ってる…」
「慶…ちゃん?…慶次?」
佐助の声にハッと我に返った慶次は目を瞬く
そして腕時計を見た
「あ!佐助さん、そろそろ駅に戻らないと!」
いつもの表情に戻った慶次にホッとし、佐助は手を取った
教会を出ると、街は濃いオレンジ色に包まれていた
手入れされた芝生を歩きながら、慶次は俯いていた顔を上げる
「佐助さんは…あの金髪の綺麗な女の子といつか結婚するの?」
「はぁ?」
佐助はギョっとして遅れて歩く慶次を振り返った
「金髪って…かすが?」
慶次は黙ってコクリと頷く
「かすがはただの幼馴染だって」
「でも…この間…」
この間と言われて、佐助は思い出した
慶次のマンションに行くか行くまいか迷っていた時、かすがを抱擁したところを
目撃されていたのだった
誤解されたままだったことに今更気づいて佐助は猛否定した
「違うって!かすがは妹みたいなもん!ハグだよ」
「そ…そっか」
「本当だって!同じ施設で育ったんだ。…18才で高校出たら働かなきゃいけなくて、
俺はフリーターで色々な仕事してたんだけど、かすがはあの通り美人だろ?
水商売ですぐまとまった資金つくってさ、自分の店開いて。
そしたら俺に声かけてくれたんだよ」
「そうなんだ…ごめん俺…」
「かすがも俺もこれで結構苦労人でさ、お互いよく知ってるし、血は繋がってないけど
肉親みたいなもんなんだ」
佐助は夕日に照らされ、いっそう顔を赤く染める慶次の頬に手を添えた
「なに?嫉妬してくれたの?」
「!」
慶次が顔を上げた瞬間、佐助は唇を重ね合わせた
驚いて後ろに反らした慶次の頭を捕らえ
深く口付ける
慶次の下唇をチュウっと吸い上げると、甘い溜め息と共に口が開き
佐助はそっと中へ舌を差し入れた
「う…んんっ」
奥に縮こまった慶次の舌を絡めとると小さく体が震え、
縋るように佐助の背中へ腕が回る
佐助は慶次の唇と口内を丹念に愛撫して、
最後に名残惜しそうにチュっと音を立てて離れた
「さ…すけ、さん」
「…そんな色っぽい顔しないでよ…離れたくなくなるでしょ…」
熱っぽく見上げる潤んだ慶次の目を見て佐助は呟いた
「でも、もう…遅いか」
どこか意を決したような佐助の眼差しを受け、慶次は小首を傾げた
「佐助さん?」
「なんでもない。さて、そろそろ店に行かないと」
佐助の言葉に慶次もハッと思い出して慌てた
「あ!佐助さん、急がないと!かすがちゃんに怒られるって!」
「いや…怒るっていうか、アイツ容赦なく減給するんだよね…」
「マズイだろ、それ!」
手をとって教会を飛び出すと駅へ向かって走った
慶次は自分の手を引いて走る佐助の髪が
夕日のオレンジと交じり合い、光を受けるのを見て
心の底から綺麗だと思った
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「おう!ウイスキー、ロックでな」
元親はカウンター席に腰を下ろすと、小切手を取り出した
「元親…さん?今日は一人なんだ?」
佐助はカウンター奥のボトルを取り出しながら元親を見た
「お、名前覚えてたか」
「まぁね、客商売だし」
「呼び捨てでかまわねぇぜ?…ホレ」
そう言って元親は小切手を切り渡す
その額面を見て佐助は不敵な笑みを浮かべ、鼻先で笑った
「何?うちみたいな小さいバーには数千万もするボトルは置いてないんだけど?」
「ははッ!そうきたか、まぁ一筋縄じゃいかねーとは思ったがな」
「…どうぞ」
元親は佐助が差し出したウイスキーを呷る
「なかなか美味ぇな、ここの酒」
「どうも…で?俺様、回りくどいの好きじゃないんだよね」
元親はフッと口元を歪め、隻眼で佐助を見据えた
「慶次と別れろ。手切れ金だ」
「……」
「今ならまだ大丈夫だろ?」
そう言って元親はゴクリとグラスの液体を喉に流す
「チカちゃんは長期入院したことある?」
「あん?…俺がひ弱に見えんのか?」
突然話がそれ、元親は眉間に皺を寄せながらも答える
「慶ちゃんと同い年なんだってね、政宗は年下だって、慶ちゃんが言ってた」
「…」
元親は佐助の意図を探るように視線を合わせたまま沈黙した
「中学の時に慶ちゃん、病気して入院してたからダブったって言ってたけどさ、…」
「それがどうした」
「なんでアンタまでダブるの?」
元親はハッとしたように隻眼を小さく見開いた
解け始めた氷がカランと涼しげな音を立てる
「慶ちゃんの話聞いてさ、ずっと違和感があったんだよ。」
「…俺は…あんま頭のデキが良くなくてな」
歯切れの悪い元親に佐助が追い討ちをかける
「そう?俺様にはアンタはかなりの切れ者に見えるけど?」
「ちッ…」
小さく舌打ちをし、元親は残ったウイスキーを飲み干す
「どうして俺がわざとダブる必要があんだ?」
「それだよ。中高一貫なら普通高校入学は優先されるだろ?
政宗の親父が経営する学校で、ましてアンタの親父とは親友同士だ。
頭のデキが悪くてダブるなんて逆に不自然だ」
「……」
「アンタはわざと入学を遅らせた」
「俺が?何のために」
「休学したせいで政宗と同学年で入学することになった慶ちゃんの為にだ」
「…」
元親はダンっと音を立て空いたグラスを置いた
「ストレート」
佐助は黙ってグラスを下げると、先ほどより濃い琥珀色のウイスキーを出す
元親はグラスの中で揺れる液体をジッと見つめた
「慶次は…他に何か言ってたか」
「いや…。でも変だろ?小学生時の記憶はあるのに中学の記憶が曖昧なのは」
「……」
「何があったんだ?」
元親は小切手を端整な指先に挟むと佐助の前にかざした
「これでチャラにできねぇか?なんなら、倍額に書き直してもいいぜ?」
「悪いけど、俺ももう引き返せないとこまできてる」
佐助の低い声音に、元親はフンっと鼻を鳴らし小切手を破り捨てた
「参ったぜ。今までならアイツに近づく虫はコレでホイホイ片付いたんだけどな…
いつかお前みてぇなヤツが現れると思った…」
はッ!と乾いた笑いを浮かべて、アルコールを流し込む元親の目には敵意が消え
変わりに暗い影が滲んでいた
「俺は…、慶次を愛している。中等部の入学式で初めて慶次に会った時からな」
「……」
「俺の親父は貿易商で政宗の親父とは昔から付き合いがあって…
その縁で入学することになったんだが」
元親は一旦言葉を切った
佐助は新しいグラスに、ウイスキーを注いで半分程を一気に喉へ流す
そんな様子を見て元親は苦笑した
「いいのか?勤務中だろうが」
「コレ、チカちゃんの奢りで。こんな高い酒、奢りじゃなきゃ飲めないんだよね」
「ははッ!いいぜ!飲みたいだけ飲みな!」
店の中は程よいざわめきに包まれている
「周りの人間は俺らをどう思うか知らねぇが、思うほどいいもんじゃねぇ。
金や権力目当ての下心丸出しな奴らがウジみてぇに湧いてきやがる。」
「まぁね、あんたらの数千万は紙切れかもしれないけど、
普通はソレを稼ぐのに何年もかかるわけだし。目が眩むのも当然じゃない?」
元親はニイっと笑みを深くした
「アンタは目が眩まなかったな」
「…なんでも金で片付くってわけじゃないよ」
「稀にいるんだな、アンタや…慶次みてぇな人間が」
佐助は少なくなった元親のグラスに酒を注ぎながら、先を促す
「まだ中学になったばかりのガキなのに俺や政宗は相当人間不信になっててな…。
俺たちにとって慶次は初めて損得関係なく出来た本当のダチだった。
だから…俺も政宗も…いや、政宗は特に…」
元親は深い溜め息をついて、グラスを傾けて一気に飲み干す
スッと立ち上がって銀色の髪を後ろへ撫で付けた
「政宗に気をつけろ」
「え…」
突然、元親の射抜くような鋭い視線が佐助に突き刺さる
「手を引かねぇってんなら、死ぬ気で慶次を守れ」
そう言残すと元親は支払いを済ませ、ドアの向こうへ消えた