残月


軽く酔ったかもしれないと思いながら
慶次は目の前の薄紫の液体を眺めた

グラスの表面に浮かぶ玉のような水滴を無意味に指でなぞる

週末にでもなるとそれなり混むのだろうが、今日は週のど真ん中
しかもまだ早い時間だったのでバーの中はひっそりしていた

隣のカップルを除いては…

「何か作る?」

突然声をかけられ、顔を上げるとカウンターの向こうの店員が
ニコリと営業用の笑みを浮かべていた

オレンジに近い赤みの入った明るい茶髪
体にピッタリの深緑のベストを着こなしている

まだ半分にも減ってないフィズを見て首を緩く横に振った
「ん〜…まだいっかな」

店員はクスっと小さく笑う
「飲み物じゃなくてさ、なんか軽く食べる?お腹、鳴ってたよ」
「え?ウソ」

その時、隣のカップルの片割れの女性が慶次に声をかけた
「ねぇ、慶次。私達これから他の店に行くから。今日はありがとうね!」
「あ〜ハイハイ良かったね」
満面の笑みを浮かべて『彼女ら』は店を出て行った

「はぁ〜…」
その後ろ姿を見て、慶次は思わず盛大なため息をつく

「…ねぇ、慶ちゃん。隣の彼女って連れじゃなかったの?」
「え…ああ。うん」

氷も溶け、すっかり温くなったフィズが強制的に回収され
代わりに湯気の立ったタンシチューが出てきた

「わぁーすっげ美味そう!」
「俺様の自信作」
「へぇ凄いね…えっと…」

目を輝かせながら見上げた慶次に店員は言った
「…佐助、だよ」
「佐助、さんか…」

慶次はゆっくり名前を復唱すると、さっそくシチューを口に運ぶ
「うっめー!」
「…そう?」

体格が良い部類に入るであろう慶次がまるで子供のように
口いっぱいに頬張る姿を見て佐助は目を細めた

「美味そうに食うねぇ、慶ちゃん」
「…あれ?俺、名前言ったけ?」
「さっきの彼女、呼んでたじゃない」

慶次はそっか、と納得してせっせとシチューを口に運ぶ

「キレイなコなのにいいの?」
「何が?」
口の端を汚したまま慶次が目を瞬く
「彼女、とられちゃったんじゃないの?女の子に」
佐助の言いたいことを理解した慶次は、目の前で手をヒラヒラさせた

「違う違う…ただの大学の知り合い」

このバーは同性の出会いを求めて集まる所でもあった
とはいえ、どちらかの性別専門ではないので男女でも来店しても差し支えない

同じ学部の女の子に頼まれて、一人では入りずらいと言うから付き合ってあげたのだが
早々に相手を見つけて意気投合してしまったので
慶次は一人でアルコールを飲んでいたのだ

「まぁ、いい人が見つかって良かったよ」
ニッコリ微笑む慶次を見て、佐助は「ふぅん」と口の端を吊り上げた

「慶ちゃんはノンケなの?」
「ノン…あぁ、うん。でも俺、偏見とかないよ?恋に性別は関係ないってね」

慶次はタンシチューをキレイに平らげて笑った
「佐助さん!美味かったよ」
「そ…そう?気に入ってもらえて良かった」

佐助は、屈託ない慶次の笑顔に一瞬見とれてしまう

「あ〜…腹も一杯だし、今日は帰ろうっかな」
慶次の言葉に佐助は少し驚いて、食器を片付けていた手を止めた

「え?もう…帰るの」
「だって、俺もう用事ないもん」
もっともな返答に佐助は微かに表情を曇らせた

「そっか…。この店、気に入ったらまた来てよね」
「うん!またな、佐助さん」

まるで小学生のように元気な声で返事をし、会計を済ませると
慶次は狭いバーのドアの向こうへ消えていった


佐助はその後ろ姿を見つめ
(もう、来ないんだろうな…)と、思った

何故か名残惜しいと感じている自分を慌てて否定し、仕事に集中することにした


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「あれ?今日は繁盛してるね」

慶次は昨日と同じ、カウンターの席に座ると
「今日は何にしようかなぁ」と楽しそうに独り言を言いながらメニューを眺めた

「……」
「佐助さん!テキーラ・サンライズ」
「…慶ちゃん」
「?」

佐助は思わず「ホントに来たの?」と言い掛けて口をつぐむ
「テキサンね、了解」と短く言って、テキーラとオレンジを用意し手馴れた手つきで酒を作った

戸惑った様子を察したのか慶次はニヤっと笑い
カウンターテーブルに肘をつくと手の甲で頬を支える
「へへ…本当に来ると思わなかった?」

ズバリ図星を指されて佐助は苦笑する

「そんなことないけど…こーゆー店だから」
ノンケだと言っていた慶次には抵抗があるのではないかと思ったのだが
慶次には通じないらしく不思議そうに小首を傾げた
「?…俺、昨日の佐助さんの料理美味かったなぁと思って」

店内は昨日より幾分混んでいた
明るめな照明とセンスのいい音楽が低めに流れている

「いい店だよな」
慶次が差し出されたカクテルを飲みながら言った

「そっか…じゃ、今後もご贔屓にって、学生の身分でバーに入り浸りもマズイか」
佐助が小さく笑うと、慶次はアレ?と呟く

「俺、大学生って言った?」
「…昨日、一緒にいた女の子の事、大学の知り合いって言ってた」
「あ、そっか」
ポンと手のひらを叩いて軽快に笑った

佐助は少し呆れて肩を竦める
「慶ちゃん、ちょっと無防備じゃない?」
「そっかな」
ちっとも反省した素振りもなく、話を強制終了すると
慶次は「今日は何を食わせてくれんの?」と頬杖を突きながら佐助を上目使いで見た

「……」
佐助は鼓動が早まるのを感じた

慶次にわからないように小さく息を吐くと
「本日はタコとサーモンのカルパッチョ、アサリのリゾットがおススメでございます」
わざと改まった口調で言う

「美味いの?」
「当たり前でしょ?俺様の手料理よ?」

慶次はへへ、と嬉しそうに笑い「じゃ、それ食べたい」と言った

(よく笑う子だな…)と思い、無意識に自分も口元に笑みを浮かべていたことに気づく
(なんか…俺様ヘンじゃないか?)
笑みを消して眉根を寄せたとき、ドアが開き複数の客が入ってきて
にわかに店内は忙しくなってきた

注文が合い付き、佐助は慶次の相手をする間もなくなってしまい
ひと段落してカウンターの端を見るとその姿はなくなっていた

「…慶…ちゃん」
思わず漏れた自分の声があまりに切なげで思わずゴクリと唾を飲み込む
渦巻く思考は、店内を飛び交うオーダーの声に掻き消された




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