天河


「…そのような所で何をしておる」

ヒッと短く息を呑む音と共に家臣達が振り向いた
幸村の姿に飛び上がらんばかりに驚き、お互い顔を見合わせ狼狽している
「ゆっ幸村様、お早うござりまする」
「…なんだ?一体何を…」

三人が折り重なるように覗いていたその先が知りたくて
グイッと押しのけようとすると大声を出して制止しようとする
「幸村様っ」
「な…何なのだ?何かいるのか?」

挙動不審な様に幸村が少し苛立つと
家臣は頭を下げて逃げるようにバタバタと廊下を駆け去った

あっという間に消えた後ろ姿を見送り
「…一体何なのだ」
と呟いて開けた庭先に目をやる

「!!?けっ…け…ッ」
「?おー、幸村!」

見ると井戸の前で慶次が豊満な胸をはだけて体を拭いている

「な、な…ッ」
「いや〜珍しく朝早く目が覚めちまってさ!軽く鍛錬したら汗だくで…」
「は、はっ破廉…ッ…恥!」
幸村が鼻血を出してひっくり返ると同時に佐助が屋根から飛び降りた

素早く幸村を抱きかかえ、取り出した手拭いで鼻を押さえる

「どーしたの旦那ぁ?また猫の交尾でも見た…の……
…なんて格好してんだ!前田の旦那ッ」

佐助は幸村を放り出し、慶次に駆け寄ると肌蹴た着物を強引に着せた

「慶ちゃん!困るよ!何やってくれてんだ」
「…何ってさぁ、汗だくで気持ち悪くて」
「んなこと聞いてないって!こんな男所帯で乳丸出しにされちゃマズいから!」
「あ…!ああ!コレかぁ」

慶次は悪びれる様子もなく胸元を掻いた

「邪魔なんだよなぁ…参ったよ」
「参ったのはこっちだよ!もう少し女だってこと自覚してよ」
「そんなこと言っても気持ちは男のままだからなぁ」

慶次はふと気付いて指差した
「あれ?幸村?」
血を吹いて倒れているらしい幸村に駆け寄ろうした慶次を佐助が止める

「ダメダメ!失血死させる気かよ?!」
「佐助さん…」
慶次は呆れたような顔で佐助を見た

「幸村は元服した成人だぜ?女の裸見て鼻血吹いててどうするんだい?
跡継ぎだってこさえなきゃいけないだろ」

佐助は痛いところをつかれてウッと顔をしかめる

「…そうなんだよな…いい加減、筆おろしして欲しいんだけど、破廉恥破廉恥って…」
「ふ〜ん……」
慶次は悪戯っぽく口の端を釣り上げた

「俺が相手してやろうか!?」
「え…慶ちゃんが?」
「まぁ、触るだけでも大進展って事だろ?俺になら抱きついてくるじゃねぇか幸村」
「…それはアンタが男の時だろ」

でもまぁ…と佐助は考えた

慶次なら見ず知らずの女より可能性はある
いつ戦になってもおかしくない不安定な情勢もあり、
時間のある内にそれなりの相手と祝言を上げ子を成して欲しいのは本音だ

初夜で鼻血を吹いて倒れられても困る
女を知って、色々な意味で立派な男になって欲しい
「……」
「俺はどっちでもいいけどさー」

慶次が呑気に口笛を吹き、佐助は益々眉間にシワを寄せる

「俺様も知識だけでもと思って旦那に興味持ってもらえるように努力してるんだけど、
女に現を抜かしてる場合じゃないとか言って…縁談も断るし…う〜ん…」
「幸村に縁談?」
「ん…?そりゃくるよ。由緒正しい姫様を甲斐の虎若子の元に輿入れさせてくれってね」
「そう…か」
慶次は何故が胸がチクリと痛むのを感じた

からかい半分で持ち出した話だが、幸村の祝言や世継ぎの話が
現実に差し迫った事なのだと知り
少し悲しい気持ちになった

(そうだよな…)

幸村自身はともかく周りが煩く騒ぐだろう
上田城を任され、いずれは甲斐の国を背負うであろう幸村に
早く跡継ぎを求めるのも当然だ

恋話を持ち出すだけて、赤面する幸村もいつか…いや、近い内に
輿入れした姫さんを好きになって人の親になる

(…あったりめぇだよな)

自由気ままに諸国を巡り歩く風来坊とは違う

(俺は馬鹿だなぁ…)

いつまでも幸村はあの幸村のままな気がしていた
自分だけが取り残されるような寂しさが押し寄せ
いつの間にか厳しい表情になっていた

「慶ちゃん?」
不意に慶次の顔を佐助が覗き込む

「…あ〜っと、じゃぁ適当に幸村を誘ってみるよ!」
「無理しないでよ。アンタは遊び人だし経験豊富かもしれないけど
体は今までと違うんだからさ」
「わかってるって!それより、村の巫女さんからなんとか男に戻る方法、
聞き出してくれよ」

佐助は申し訳なさそうに頭を掻いた
「悪いな。努力はしてるんだけど全く取り合ってくれないんだ…相当怒ってて」
「まぁ元々俺が悪いんだけどさぁ…この体不便で」

先ほどの鍛錬でもいつもの超刀が持ち上がらなかったので
仕方なく木刀を使ったのだ


「う…う…」
幸村が目を覚まし、呻き声と共に起き上がる

「よう!幸村、大丈夫かぁ?」
「けッ…!慶次殿」

慶次がいつもの気安い調子で声をかけると幸村は顔を真っ赤にして俯いた

「大丈夫にござる!慶次殿も…あのような破廉…だらしのない姿は控えて頂きたい!」
「はは…悪い悪い、佐助さんにコッテリ絞られたよ」

幸村は慶次から視線を逸らせたまま
「失礼致す!」と踵を返して足早に立ち去った

佐助と慶次は顔を見合わせ、肩をすくめた
「なんか幸村、俺のこと意識してないか?」
「…うーん。女に免疫がないだけだと思うけど……」
「けど?」

佐助は嫌な予感を振り払うように首を振ると、ヒラリと身を翻し姿を消した

残った慶次は腕を組み思案する
「さて…さて…。どうやって幸村を落とすかね」

そう独り言を呟き、ニヤリと笑った



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