紫苑-回顧-
「なんか…お前の弟って」
「?何だ」
篤は帰りの電車で、さっき下車した部活仲間の言葉を思い出していた
「満員電車で痴漢にあっても抵抗できなさそーな感じ」
「は?…痴漢って、何を言ってんだ」
呆れ顔で友人を見ると、逆に肩を竦められる
「まぁ…お前は兄貴だから何とも思わねーか…」
「さっきから言ってる意味がわからない」
「何歳だっけ?弟」
「…この間中学生になった」
ふーん、と意味深な間をあけて言った
「なんか。子供でも大人でもない微妙な感じ?妙な色気っていうか」
メチャクチャに犯したくなる
友人のとんでもない発言に篤は怒りどころか、呆れかえった
開いた口が塞がらないとはこのことだと思いながら
「…お前…欲求不満なんじゃないか」
と、冷ややかな目で見返す
「はいはい!そーですヨ。余ってんなら一人くらい女、回せよな〜」
一瞬見せた暗い瞳を消して、友人はおどけてみせた
いつもは部活が終わった後に帰宅するので電車は空いている
だが今日から暫く部活を休み、夕方帰宅することになったせいで
電車内は混雑していた
混みあった電車の入り口付近に立ち
篤は車窓の流れる景色をぼんやり眺めていた
友人が電車を降りてからずっと
何故か心が落ち着かない
何に対してかわからないが苛立っている
スピードが落ち、自分が下車する駅へ電車が滑り込む
篤は強引に気持ちを切り替え、電車を降り改札口を抜け
自宅のある商店街へ歩き出した
大型店の影響で寂れてきたとは言え、夕方の商店街は多少賑わっている
隣の鮮魚店では明の同級生、斉藤ケンが店の手伝いをしていた
(明も帰っているな…)
ケン坊と明は今年から同じ中学に通っている
部活にも入っていないから、当然明も帰宅していると思いきや…
裏の勝手口から家の中に入るとシンっと静まり返っていた
「…明?」
居間にバッグを置いて呼んでみても返事はない
(…出掛けたのか?)
篤は取り合えず制服を脱ぎ私服に着替えてから台所に立った
今日から一週間、店は臨時休業でシャッターが下りている
昨日の夜遅く、訃報が入った
母方の親戚なのだが身寄りのない人らしく、
遠い地方で葬儀一切をやらなければならないから一週間は帰れないと
食費を置いて今朝早く両親は慌しく出掛けていった
手際よく調理をしながらも、篤は別の事を考えていた
最近、明の帰りが遅い
中学に入って最初は隣のケン坊と一緒に帰っていたようだが
最近は明だけが遅く帰ってくる時がある
両親は気にも留めていないが篤は心配だった
どちらかと言えば消極的な性格で、体格も小柄な方だから
中学に上がったとたんイジメの対象になりはしないか…
(ケン坊に聞いてみよう…)
篤は手を止めると、財布を持って家を出た
「おっ、明の兄貴」
顔を出すと、ケン坊が包丁を持って声をかけてきた
見た目はスレた感があるが
店の手伝いをしているケン坊が母親想いの良い子だということは知っている
「えっと…アジ2匹くれ」
「!…あ」
ケン坊の視線に振り返ると、明が息を切らせ駆けてきた
オレの姿を見ると目を見開いて、立ち止まった
「あ…兄貴、遅くなってごめん…」
篤は気まずそうに俯く明に微笑んだ
「台所の鍋に火つけておいてくれ」
「うん、…わかった」
明が勝手口の方へ消えた後、ケン坊が呟いた
「明のやつも大変だな…」
「?大変って何のことだ」
ケン坊は魚を袋に入れ、篤に手渡す
「よくわかんねーけど、補習らしいゼ」
「補習?なんで…」
まだ新学期が始まって1,2ヶ月だ
補習を受けるほど学力に差が出てきているとは思えない
「そんなに成績悪いのか明は?」
「あん?んなわきゃねーよ、オレに補習がねーのに」
じゃあ何故?篤の疑問を読み取ったケンも困惑して首を捻った
「よくわかんねーけど…数学の新任がたまに明だけ補習で居残らせるんだよな…」
(なんだ…それは…)
篤は、内心の疑念を隠しつつ聞いた
「どんな先生なんだ?」
う〜んと唸ってケンは眉根をひそめる
「どうって…今年大学出たばっかって言ってたかな
カッコイイとかでクラスの女が騒いでうるせーんだよ」
「…そっか、ありがとうな」
礼を言って微笑みを浮かべる
「オウ!お代はいらねーから明に魚、食わせてやってくれ」
ケン坊は隣のシャッターの下りた青果店に戻る
篤の背中を見送った
何か言葉に出来ない不安が胸をよぎる
篤の笑顔
だが目が笑っていなかった
ゾクリと背筋が凍るような黒い目
思いふけっていると客に声をかけられ、ケンは手伝いに集中することにした
篤は夕食後、寝転がってテレビを見ている明に問いかけた
「明、学校はどうだ」
「えっ…」
明は一瞬視線を泳がせて戸惑う
「どうって…?」
逆に質問する明を観察しながら続ける
「…勉強とか、ついていけてるか?」
兄の意図を理解し、明は小さく息を吐く
「うん…別にまだ難しくないよ」
「…そっか」
(何か隠している…)
篤はそう、直感した
「最近、帰りが遅いな」
「っ…」
明は言葉に詰まって、唇を軽く噛んだ
幼い頃からの癖で
自分の言いたいことが上手く言えない時、明は唇を噛んで黙り込む
「…明?何をしているんだオマエ」
(補習を受けているのを知られたくないのか、それとも何か…)
篤の視線に堪えられなくなった明は
薄い微笑みを浮かべて言った
「えっと…何か部活やろうと思って、色々見学して回ってるんだ」
篤は開きかけた口を静かに閉じた
(明、嘘…ついた…な…)
明にとって年の離れた篤は
兄でもあり父親のような存在でもあった
店の仕事で忙しい両親の代わりに、篤が世話や悩み事の相談にのっている
小柄な明と違い高校生の篤は背も高く、体も程よい筋肉がついて逞しい
そんな篤を心から尊敬している明は
今まで一度も隠し事や嘘を言ったことなどなかったのだ
「……お兄…ちゃん?」
黙り込んだ篤の様子を伺うようにかけられた声に
ハッと我に返った
「なんでもない。明日は早く帰って来いよ」
明の頭をポンと軽く叩く
いつもの和やかな雰囲気に戻ったのを感じて
明は「うん」と小さく頷いた
その晩、篤は自室のベットに転がりながら天井を見つめていた
隣の部屋の明はもう眠っているだろう
自分に嘘をついてまで補習を隠す意味がわからない
今まで、小学校のテストで悪い点をとっても隠さず
間違えたところを教えて欲しいと頼まれ、勉強を見てきた
それが中学に上がった途端に何故隠す必要があるのか…
そもそもケン坊の話によると
別に成績が悪いわけでもないのに補習させられているという
「…新任」
無意識に呟いた
大学を出たばかりの新任教師
どんな男なんだ?
中学にもなれば流石に親兄弟に触れて欲しくないプライベートもあるだろうが
何か違う…篤は直感でそう思った
『妙な色気っていうか…』
電車での会話を再び思い出した
夕方も感じた嫌な感覚が蘇る
胃の辺りが重く、焼けるようなチリチリした不快感
弟をそんな目で見る友人への…
断片的な情報に思考を巡らせている内に
篤もいつの間にか眠りに落ちていた
****************************
翌朝、篤は早起きをして弟の朝食を作ると家を出た
篤の通う高校は進学校で、商店街より数駅先にある
眠りが浅かったせいか朝から軽い頭痛がした
学校では優等生で通っているが篤にとって別にどうでもいいことだった
苦手がなく、やれば何でもそこそこ出来る
少し努力するだけ上達する
結果勝手に優等生の肩書きが出来ただけ
容姿だけに惹かて騒ぐ女や教師ウケする素行の良さにあやかろうと近づく男
篤はウンザリしていた
本音を話し合える人間はこの世で一人
篤にとって弟の明は自分自身であるのと同じ感覚だった
割り切りの良い篤だったが
明の事となると別で、昨夜言われた嘘がいつまでも胸に引っかかっていた
変わりばえしない授業を終え、帰路につく
明の通う中学は商店街から歩いて20分ほどの距離にある
昨日の約束を守っているなら、すでに帰宅しているはず
同じような時間に、商店街を通り、自宅の勝手口を開いた
(……いない)
薄暗い家の中に人の気配はない
嫌な思いが走る
今日一日考えて、新任教師のイジメに合っているのではと思ったのだ
気の弱い明が大学を出たばかりの新米教師に目をつけられ
補習を強要されているのではないか、と…
篤はそのまま戸を閉めて中学校へ歩き出した
もしそうなら、抗議しなければ
明を守れるのは自分しかいないのだから
中学校は篤が通った母校でもある
一年の教室は校門をくぐって奥の1階にあった
(確か、1−Bだったな)
グラウンドが離れた所にあるせいか、一年の棟は静まり返って人一人いない
落陽の光がオレンジから落ちる寸前の毒々しい紅に変わった
教室の中を紅く染める
廊下の窓から中をのぞくと教室の端
外側の窓のカーテンに隠れるように人陰を見つけた
(…明?)
逆光でよく見えないが弟に間違いないようだ
近づいて教室の扉を引く
静まり変える教室にカラカラ…と音が響く
目に入ってきた光景に篤は息をのんだ
学生服のズボンを膝まで下着ごと下ろされ
しゃがみ込んだ若い男が、弟の股間に顔をうずめている
必死にカーテンを握りしめ
目にいっぱい涙を浮かべた明が顔を上げた
「…ぁ」
いるはずのない兄の姿に明は眼を見開いた
か細い声に気が付いたソイツが明を見上げる
小さく笑って明の尻を撫で上げた
「宮本、気持ち良かったらもっと声、出してごらん」
「ヤ…せっ…んせ」
再び明の性器を咥えようとしている
篤は瞬きもせず、近づく
気配を感じて振り返った教師の髪を鷲掴み
乱暴に明から引き剥がすと、顔面を殴りつけた
よく覚えていない
明の悲鳴と自分の浅い呼吸と心拍の音
篤は我を忘れて殴り続けた後、明を引きずるように家へ連れて帰った
篤は鍵で玄関を開けると、明を中へ放り込んだ
施錠した後、再び襟首を掴むと引きずって座敷の畳に突き飛す
「ぁ…兄貴……」
明の乱れた服を見て、体の血が沸騰する程の怒りが沸き起こる
篤は明の頬を思いっきり引っ叩いた
「ッ!!」
勢いで吹っ飛ぶ明の体を無理やり起こし襟を掴んで、反対の頬を叩く
口内が切れて口の両端から血が流れ落ちる
「……ぁっ……」
カタカタと細かく震える弟の体を押し倒すと
服を引き裂いた
「…この…淫乱がッ!」
篤の目は常軌を逸脱し、狂気に彩られている
「…ちっ…違ッ!…」
明は必死に反論しようとするが、顎がガクガク震え、言葉にならない
押しのけようと思っても、恐怖のあまり全く腕に力が入らず
ただ涙がボロボロ零れ落ちた
「違う?…何が違うんだ明」
篤は口の端を吊り上げ、冷たい笑みを浮かべた
明の肩を押さえ、胸の小さな乳首に舌を這わせる
「っ…!兄貴…ッ」
兄の行為に明は目を見張った
生暖かい舌先が乳首を転がし、唇でキュッと吸われる
「ぁ…ッ」
歯で軽く甘噛みされると、無意識にピクンと体が跳ねた
明の反応を見て、篤は腹の底から笑った
「お前は…」
絶対に認めてはいけない己の本性と
弟を抱きたいという欲望を
初めて自覚した
「俺だけのモノだ…明」
NEXT