星命
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「あのさ…幸、怒ってんの?」
幸村は呆れ顔で慶次を見た
「怒ってなどこざらん!呆れてるのでござる!」
「そっかーなんだ良かったぁ」
子供のように無邪気に笑う慶次に
幸村はガックリと肩を落とした
追い返しても追い返しても足を運ぶ慶次を
城内に入れたのはいつだったか
今ではこうして、縁側で茶を飲みながら菓子を食う仲になっていた
とはいえ、幸村は気を許したわけではなかった
前田は織田の家臣
最初は間者かと疑っていたが、来れば恋の話ばかり
下らんの一言で一蹴しても
飽きずに恋だ愛だと、話は堂々巡り
風来坊だという噂は本当らしく
織田の内情もほとんど知らなかった
前田の家もただ夫婦仲の良さを自慢され幸村はうんざりしていた
だが厄介だと思いながらも
ニコニコと屈託のない笑顔を向けられ
いつの間にか手土産の菓子をつまみながら茶をすすってしまう
不思議な男だった
しつこく会いたがっていたかと思えば
すんなり引き下がり、数ヶ月音沙汰がなかったり
まさに風来坊というに相応しい感じだった
「戦ばっかりじゃなくてさー、恋をしなよ。幸せになれるんだよ」
「某の幸せは御館様の御上洛にござる」
慶次は深いため息をついて肩をすくめた
「幸も、もう大人なんだからさ、恋の一つや二つ経験した方が…」
「恋など必要ござらん!」
「幸…怒ってる?」
「………」
幸村はイライラを抑えるために御手洗団子を頬張った
「幸は団子が好きなんだねぇ」
そして丸で幼子のように無垢な笑顔を幸村に向けた
幸村は眉根を寄せて、目を逸らせた
慶次の笑顔は苦手だと感じていた
それだけではない
言葉も容姿も
何もかもが苦手だ
ヒラヒラ舞う桜の花を見つめるその顔が
最初は嬉しそうだったのに
やがて、何か思い出したのか
悲しそうな笑みに変わるからまた苛立ってしまう
「そう言う慶次殿は恋をしているのでござるか?」
嫌味を交えて尋ねると
慶次はキョトンと目を見開いて幸村を見た
「え…俺?」
「…好いた御人がいるのですか?」
いつもの軽い調子で女子の話でもし始めるのかと思いきや
視線を下に落として、困ったように小首を傾げた
「あ〜……うん。いや……」
「人に恋をしろと言っておいて慶次殿はその恋とやらをしていないのか?」
「う……ん、そう…そうだね」
ごめん。
消えそうな声で謝る慶次を見て幸村は再びため息をついた
胸がモヤモヤするうえに
ため息ばかり出る
食いすぎだろうかと思いながらも、団子に手を伸ばす
慶次はバツが悪そうに頭を掻いて立ち上がった
「俺、今日はもう帰るよ。また来るからさ」
「……慶次殿」
「…うん?」
「何でも…ござらん」
そっか、と頷いて踵を返すと慶次は城門へ向かった
幸村は遠ざかる背中を見送って一人、慶次が見ていた桜の木に視線を移す
まるで慶次は桜のようだと思った
華やかで、そして儚い
人を魅了しておいて勝手に散ってしまう
魅了…
某は慶次殿に惹かれているのか
そんな馬鹿な、と思考を打ち消した
「佐助」
「はいはい。尾行でしょ」
幸村は木の陰から現れた佐助に空になった湯呑みを突き出す
「茶を入れてくれ」
ガクっとバランスを崩し、佐助は頭を掻いた
「お茶なんか下女に頼めばいいじゃない」
「某は佐助が入れた茶が飲みたい」
佐助は口を尖らせながらも主の命に従い茶を入れる
「慶次殿は一体何なのだ」
「?…うん、調べた限り間者じゃないみたいだね」
城下町の旅籠で寝泊りし、フラフラと町を出歩いては町人と仲良く他愛もない会話を楽しむ
「団子屋の娘さんと仲良くなってたよ」
「破廉恥な」
「…旦那の話ばっかり。何処言っても」
「俺の?」
「すっごい楽しそうに」
その様子を思い浮かべ幸村は盛大なため息をついた
「旦那…ため息ばっかりじゃない。どうしたの?恋?」
「こここ、恋?!佐助まで狂ってしまったか?!」
「旦那は前田の旦那が嫌い?」
「…嫌い…ではないが…」
城を荒らしたことはもう怒っていない
きちんと侘びを入れられて、いつまでも根に持つ程器量は小さくないつもりだ
なのにいつまで経っても心が落ち着かない
「俺は…病んでいるのか」
至極真剣な眼差しを向けられた佐助は引きつった笑顔を返した
「まぁ、ある意味そうかも」
桜も散りかけたある日、慶次はいつもと変わらぬ様子で
手土産の団子を持って上田城を訪れた
「幸〜、はい団子だよ」
「また来たのか…」
しぶしぶ茶の用意を言いつけようとした幸村を慶次が制す
「ああ、いいよ幸、俺もう行くから。後でゆっくり食べな」
幸村は押し付けられた団子の包みを受け取った
「…食べていかぬのか」
「うん」
幸村は慶次が旅荷を背負っているのに気づいた
慶次が突然旅立つのには慣れていた
突然いなくなり、また不意に現れる
季節を巡る風のように
「今度は何処に行くのでござる?」
「加賀。毛利が進軍してくるって噂なんだ」
「…え」
「戦に出るんだ。だから…」
慶次はいつもと変わらない笑顔で言った
「…さよなら、幸村」
心臓がドクンと拍動した
「慶次殿は…戦が嫌いなはずでは?」
「うん、嫌いだよ」
「では何故」
「俺は利を守らなきゃ。利は前田の当主だから」
言葉が出なかった
主従や家などに縛られない身勝手な
武士らしくない男だと思っていた
だからどこか安心していた
行き倒れることはあっても戦で死ぬことはないだろうと
「な…何故慶次殿が行かねばならないのだ」
「?何故って俺は前田の血、引いてないから。利だけなんだよ。
俺が死んでも利だけは守らないと」
いつも御館様の為と戦に出る幸村が何故だと聞いてくるのが不思議で
慶次は首を傾げた
「養父が死んでお払い箱だった俺を守って育ててくれたのは利なんだ。
俺の存在理由だよ。いざという時には俺が人質でもなんでも身代わりにならなきゃ」
「利家殿の所望なのか」
「まさか!利はそんな男じゃない。俺が恩返ししたいと思って勝手にやってる」
「けッ慶次殿は!身勝手にござる!!」
幸村は声を荒げた
「人に戦をやめろ、恋をしろなどと言っておきながら!」
「うん…そうだね。ごめん、幸」
「御免ではござらん!男なら言動に責任を持たれよ!」
「う…責任、かぁ」
葉の出始めた木から
残っていた花びらが風に煽られて舞い落ちる
慶次はその一片を掴み、手のひらを見た
「花の命は短いな…どうした幸?変な顔して」
「ーッ」
いつの間にか爪が食い込む程に強く拳を握っていた
「さて、急がなきゃ。噂がホントなら尾張からの援軍は間に合わないかもしれないし」
「死にに行く様なものでござる!」
「それでも行くよ。幸だって虎のオッサンの為なら行くだろ?」
「…ッそ、それは…」
言葉に詰まる幸村を慶次は小さく笑った
「幸、頼みがあるんだけど」
慶次は肩に乗せていた小猿を幸村の肩に移した
「夢吉、お願いしてもいいか?」
「取りに…絶対引き取りに来るのなら預かってもいい」
「……うん」
慶次は一瞬困ったように目を曇らせたが、縦に頷いた
「わかった。絶対来るよ」
「絶対でござる」
「うん。絶対来る。約束する」
「じゃぁな、幸」
まるで明日も来るような軽い言い方で慶次は去っていった
慶次がいなくなった後
縁側で一人団子の包みを開けて一つ食す
「なぁ、佐助」
「はいよ旦那」
背後に現れた佐助を見つけ、夢吉が幸村の肩から佐助の頭へ飛び移った
「あれ?おれ様気に入られちゃった?」
佐助は小猿を頭に乗せたまま、主のために茶を用意する
「はい、お茶でしょ?熱いから気をつけてね」
「慶次殿はもう来ない気がする」
「……」
「俺は戦場で幾人も死ぬ人間を見てきた」
「…前田の旦那も強いから、そう簡単にくたばりゃしないよ」
「理屈ではない。わかるのだ。死にゆく人間の気配が…」
幸村は食いかけの団子の串を包みに置くと、
色のない目で葉桜になりつつある木を見た
「前田の旦那、約束するって言ったじゃない」
「…そのような約束」
守られるわけがござらん
幸村は佐助の頭から小猿を強引に奪い取ると
優しく胸に抱いた
「あだッ!ちょ、旦那!今、俺様の髪もむしったでしょ!?」
「…こうしておれば良かった」
「…?」
「こうして奪い取ってしまえば良かった」
「旦那」
数日後
前田慶次討ち死の知らせが入った