星命


利家は、ここ数日体調を崩して臥せっていたまつの部屋を訪れた

「まあ、犬千代様」
「まつ、大丈夫か?」
薬師はすでに帰った後のようで、部屋にはまつ一人だった
起き上がろうとするまつを止めて横にさせる
利家の不安な表情とは逆に、まつは穏やかな微笑みを浮かべていた

「犬千代様」
「うん?」
「…慶次に会えますよ」

まつの言葉の意味がわかりかね利家は目を瞬いた

「懐妊しました…腹に貴方様のお子が」
「ま…まつ」

本当か?と見開いた目に応えるように
まつがコクンと小さく頷く

「慶次……」
利家はそっと壊れものを扱うように
まつの着物の上から腹を撫でた

毛利の奇襲で慶次を失って以来
利家は初めて泣いた

「まつ、ありがとう」
「犬千代様、まつめは早う慶次に会いとうござりまする」
「うん。うん。俺も早く慶次に会いたい」
「前田家の嫡男ゆえ、今度は名に恥じぬよう厳しく育てなければ」
「まつ…あまり厳しいとまた家出してしまうぞ」
「それは困りまする」

利家とまつは顔を見合わせ笑った
久しぶりの心からの笑みだった

「また三人で飯が食えるな」
「はい。犬千代様」


*********************


慶次が生まれて五年

「慶次〜一緒に風呂に入……うっぎゃーーーッ」
「犬千代様?!」
利家の叫び声にまつは湯殿へ駆けつけた

「慶次ッ!また悪さを…」
「同じ手に二回も引っかかる利が悪い!」
戸口に隠れていた慶次が悪びれなく満面の笑みを浮かべる

「さッ寒い〜まつ〜っ」
「まぁ、また風呂に水を張ったのですか!許しませんよ慶次!」
逃げようとする慶次の袖を掴んだまつが手を止める

「慶次?…また背が?」
「え…ああ、朝起きたら着物が小さく…って、そうだ!まつねぇちゃん
もっと洒落た色の着物を仕立ててくれよ〜恋の一つもできやしない」

慶次は尋常でない速さで成長していた
傍から見ると倍の十くらいの背格好で
このままいくともう2・3年で元の姿になるのではないかと思われた

「不思議なこと…神の戯れかしら」
まつは驚きを通り越して呆れてしまった

「飯の食い過ぎだろう〜それより、まつ、着物持ってきてくれ〜」

小さなくしゃみをする利家を見て、まつは慌てて着物を取りに湯殿をでた
利家は両手で体を抱えうずくまってカタカタ震えている
悪戯が成功したことに満足し慶次は小さく笑っていたが、くしゃみを連発する利家をみてさすがに罪悪感が湧いてきた

「なぁ…利」
「利じゃない!父上と呼べと言っただろう!悪戯ばかりして、許さんぞ慶次!」
慶次は苦笑しながら歯をカタカタ震わせながら縮まる利家に近づくと
その体に抱きついた

「?!…け、慶次?」
「利…温かいか?」

子供特有の高い体温に包まれ利家はそっと慶次を胸に抱き込んだ

「大きくなったなぁ慶次」
「ああ、こりゃ利を追いこすのも時間の問題だ」
楽しそうに慶次は利家の胸の中で笑った

利家は慶次の髪を撫でて暫し沈黙した

「慶次」
「うん?」

言うか言わないか一瞬の躊躇いがあった後
利家は口を開いた

「夢吉を迎えに行くか?」
「えっ」

何故夢吉が預けられている事を利家が知っているのか慶次は驚いた

「………」
「利…どうして…」
「お前が死んで3年ほどして武田の、真田幸村の忍がきた」
「…」

慶次の目に嬉しさと悲しさが混じった複雑な色が浮かんだ

利家は再び口を噤んだ
その瞳にもまた複雑な感情で彩られている

「…真田殿がお前を慕って、いつまでも嫁を娶ろうとしない。
早く忘れてもらう為にもお前が預けた猿を引き取りに来てくれないか…」
「!!」

「…お前は真田殿と恋仲だったのか?」
「えっ!?ゆ、幸…と?」
幸村の真っ直ぐな目が好きだった
直情的な性格も強さも…だから時間が許す限り足繁く通った

最初の出会いが最悪なだけに態度がつれないのは仕方ないことではあるが
それでも徐々に自分を受け入れくれ初めた幸村に淡い期待を寄せていた

しかしそれは一方的な感情だったはず

幸村が自分を慕したっている素振りは微塵もないように思えた

「幸村…」

自分が死んでから5年…いや6年は経っている

幸村は22・3才くらいだろうか…
いまだ一城の主である幸村が嫁を娶っていないわけがないだろうが
それでも一時期自分の死を悼んで過ごしていたことに嬉しいような悲しいような複雑な想いがする
すでに幸村にとって『過去』になっているであろう自分が現れても迷惑がかかるだけではないかと思ったが
会いたいという気持ちの方が勝った

「…利、上田に連れて行ってくれないか」
「慶次…」
利家は意を決した慶次を見て、予想していた返答にやはりというため息をもらした
次いで盛大なくしゃみをしてした利家に駆け戻ったまつが着物をかけた






あの日の

「怒っているか」と不安気に揺れる目と

「恋をしなよ」と幸せそうに語る無邪気な笑顔と

「じゃあな」と手を振って立ち去った慶次の長く艶やかな髪を思い出す


まるで昨日のことのように…


慶次と花見をした桜の木は年々枝を伸ばし盛大な花を咲かせるようになった

ひらひら緩やかに落ちる薄紅の花びらを目で追いながら
またこの季節がきなたと幸村は目を細めた


膝の上の小猿を撫でながら茶を啜る主を見て忍は深いため息をついた

「ご隠居みたいだね旦那」
「…なんとでも言え」
佐助の嫌味に幸村は素っ気ない返事を返す

佐助は渋い表情で幸村の隣に腰掛けた
「旦那…例の縁談なんだけど…」
「……」
「旦那さ…気持ちは分かるけど、もういいだろ?前田の旦那が死んで6年だよ?!いつまでこうしてるつもりなのさ?家が断絶しちまうよ」
「……佐助、縁談は断れ。家督の事はもういい加減諦めろ」
「旦那…」
幸村の気持ちを知った信玄は縁談には一切口を出さない
それでも武田軍最強の若武者真田幸村のもとへ嫁がせようと縁談話がなくなることはない

幸村は前田慶次と別れたこの季節になると
花が落ちるまで、一日のほとんどを縁側で過ごしていた
主のそんな姿を毎年見続けていた佐助はあの手この手で
他に目を向けさせようとしたが全て徒労に終わっていた

幸村の膝の上で気持ち良さそうに眠る小猿をみて
ため息をついた

(最期まで責任とりなよ…前田の旦那…)
幸村の心を掴んだまま、届かぬ場所へ逝ってしまった慶次に
佐助は恨めしげに目を細めた

「なぁ佐助」
「はいよ…お茶?」
「俺は、慶次殿が好きだ」
「旦那」

佐助が驚いて幸村を見た

「慶次殿が好きで好きで…たとえ隣にいなくとも、思い出すだけで幸せな気持ちになる」
「……」
「もっと、優しくすれば良かった…なあ、佐助、そうは思わぬか?」

小猿の丸い背中を撫でながら、静かに呟いた
「お前の主は一体いつになったら引き取りにくるのか…絶対来ると申したのに」

幸村の小言に反応するように眠っていた夢吉が顔を上げ
キキキと小さく鳴いた
「約束したのに、やはり…守られなったでござるな」

困った風来坊でござる、と見たこともない優しい微笑みを浮かべた

「旦…那…」


突然、小猿が立ち上がる
何かがいるのか、キョロキョロと辺りを見渡す
「どうした夢吉」

そして、キッと甲高く鳴き幸村の膝から飛び降りると
猛然と庭を駆け出した

「夢吉!!」
「あれ?どうしたんだろね、おサルちゃん」

慌てて幸村は履物を履くと後を追った
小猿は真っ直ぐ庭を横切り屋敷の門を抜けると城門への石段を駆け下りた
やっとの思いで後を追った幸村は城門の入り口で足を止めた



ざっと花びらを舞い上げながら強い風が吹く

「お!幸!ほら、土産の菓子折り」
「………」

幸村は唖然とその人物を見た
夢吉を胸に抱いた元服前くらいの年の童が
ニコニコと屈託のない笑顔で菓子折りを差し出している

「…慶…次……殿?」

幸村の言葉に、驚いたように目をパチパチ瞬きさせ
やがてニッコリと微笑んだ

「よくわかったなぁ、幸」
「!!!」

幸村は転げるように駆け、慶次をその体が折れるほど強く抱いた

ゆっくり後を追ってきた佐助が
子供を抱き締める幸村と隣に立って静かに見守る利家の姿を見つけ
目を丸くした

「え…前田の…え?誰?その子」

「慶次殿ッ…会いとうございましたっ」
「幸村…ごめんな」
「某、ずっと、ずっと待つ覚悟を決めて、いつか慶次殿に…」

言いたいことが山ほどあるのに、込み上げる嗚咽で言葉が繋がらない
その笑顔を見つめたいのに、流れ出る涙のせいで姿が歪む

幸村はその存在が幻のように消えてしまわないように
ただただ強く抱き締めた


慶次の名を呼びながら号泣する幸村の背中に腕を回した
「幸…」

自分が小さいからか…
いや、それもあるが、幸村の身長が伸びたのだろう

あの時よりずっと近くに幸村がいることが嬉しくて
茶色がかった髪を撫でた

「幸、怒ってるか?」
「っ…当然でござる」
幸村は震えた低い声を絞り出すように答えた

「ごめんな」
「もう二度と某の傍を離れてはならぬ」
「うん」
「ずっと傍にいて下され」
「うん…幸村」

好きだ、と告げると
幸村の涙でぐしゃぐしゃな顔に嬉しそうな笑みが広がる
慶次は初めて見る幸村の笑顔に見惚れた

「慶次殿を失って初めて己の胸の内を知ったのでござる。
お慕いしております慶次殿。よくぞ我が元へ戻って参られた」
「幸村…俺なんかでいいのかい?」
「慶次殿でなければなりませぬ」

幸村は、強い語気で言い切った


呆気にとられる忍と
優しく見守る利家と

そして二人に

桜の花びらが、ひらひらと降り注く



END