琥珀

揺れる炎が滲んで見える
体中の関節がギシギシと軋むように痛んだ

「小僧、気がついたか」
囲炉裏の向こう、暗闇の中から声がした

「…」

こちら側へ移動してきた気配に、重い体を起こす

「大丈夫か」

「斧、神…」

次第に目が闇に慣れて、山小屋のような中にいることが解った

「あの満腹爺を倒せるとはな…」
山羊の被り物のせいで表情は見えないが声の調子で喜んでいるのがわかる

「あんたが協力してくれたからだ」
そういうと、斧神がゆっくり首を振った
「お前の剣の腕があったからだ…昔の仲間を思い出した」
「仲間…」

斧神は少し俺を見てから、フイっと横を向いた
弱くなった火に薪を放り投げながら静かに言った

「師匠の下で共に修行に励んだ友がいた…お前は似ている」
「師匠の…?」

斧神と同等なくらい強い人間はレジスタンスにはいない

「その人…今、どうしてるんだ?」
「わからん。師匠の元にはいないのか?俺は戦いの最中に感染し、そのまま吸血鬼側についた」

ふと、田中さんを思い出した
母親を守るために吸血鬼側についた田中さん

婚約者のために敵になった兄貴

斧神との協力も洞窟を出るまでの一時的なものと念を押していたが…今更殺しあうことなど出来ない
何度も斧神に命を助けられたのだ
満腹爺を殺した後、洞窟から脱出し、そこで俺は気を失った
洞窟を出てしまえば、敵同士に戻る
それなのに斧神は俺をこの山小屋へ運んでくれた

「…どう…しよう」
「?…どうした」
思わず口をついて出た呟きに、斧神が反応する

吸血鬼の殲滅がこの島の掟
肉親だろうと例外はない

だが…

「あんた…なんで俺を殺さなかった。もう洞窟は脱出できたんだ…気絶してる間に殺せば良かった」

「言っただろう。殺す気はないと」

これ以上、仲間を失いたくない一心で吸血鬼と戦ってきたが
終わりの見えない戦いの日々に焦燥を隠せずにいた

斧神が味方だったらどんなに心強いか

「小僧」

「小僧じゃない…明だ。宮本明」

少し笑って斧神を見上げる

「…宮本だと?篤を知っているか?…さっき話した友だ」

一瞬、息を呑んだ
動揺を隠すように搾り出した声は自分でも驚くほど震えていた

「…俺の……兄貴だ」

斧神が感慨深い目でこちらを見下ろす
「お前は篤の弟か」

その柔らかな視線に耐え切れず俯いた
「兄貴は死んだよ」
「…そうか」

「俺が兄貴を殺したんだ」

ほんの一瞬の間がとてつもなく長く感じた



「そうか…辛かっただろう」

非難されると思っていたが
予想に反して帰ってきた言葉は労わるような優しいものだった

「…俺……」
この島に来てからのこと、兄貴のこと、いっぱい話したいことがあるのに
色々な感情が波のように押し寄せ声を詰まらせた

黙って肩を抱く斧神の大きな手が暖かくて
思わず涙が溢れる

「明…、お前なら…この島を救えるかもしれん」

(…え)
顔を上げると、斧神の手が頬に触れ指先が涙を掬う
その手が額に押し当てられた

「お前…熱があるな」

そういえば、体が熱くてダルい
「大丈夫…大したことない」

「…熱冷ましの薬草を取ってくる」

離れてゆく温かさに、おもわずその腕を掴んだ
「いかないでくれ」
「すぐに戻る…お前を見捨てたりはしない」

その言葉に安堵し、手を離すと横になった

緊張が解けるとドッと眠気が襲ってきて、そのまま瞼を閉じた

**************************


斧神は再び薪を火に投げ込み、明が眠ったのを確認すると小屋を出た

村に戻ればわずかに薬がある
しかし戻る気はなかった

あの小僧…明が篤の弟とわかって決心がついた


明の体調が回復したら山を降り、人間側と合流しよう
師匠が自分を許してくれるかはわからないが、少なくとも明は無事に送り届けなければ
そう思い、小屋の戸を閉じた

小屋から少し下った場所に薬草が自生していたはず
だが視線の先にあったのは

「…こんな所で会うとは奇遇だな斧神」

(…雅!)
闇に浮かぶ真っ白な髪
美しく、残忍な笑みを浮かべるその表情に戦慄した

小屋を吸血鬼たちが取り囲む

「お前が明と共に地獄谷へ落ちたと報告を受けてな…わざわざ出向いてやった」

「何故…」

雅はフンっと鼻でせせら笑う

「お前たち程の男がそう簡単に死ぬわけがない、念のために洞窟を捜索させた。
満腹爺を殺ったのは褒めてやる、従わない邪鬼など不要だからな」

雅の鋭い眼光に斧神は後ずさった
明を、なんとしても守らねば

雅は斧神の心中を見透かすように、尋ねた

「私を裏切る気か?」
その声は鼠をいたぶる猫のように残酷な歓びを含んでいた

「お前は本当に使える男だ。明を捕えるとは…裏切ろうとしたことは帳消しにしてやる」

そう言いながらも、真っ赤な唇からのぞく鋭い牙と刃物のような爪が
まだ許してはいないことを物語っている

「雅…様…」

今、逆らえば自分は殺され明を奪われる最悪の結果となる
ここは一旦従い、隙を窺うしかない

斧神が小屋の戸を開けたのと同時に、取り囲んでいた吸血鬼が中に押し入った


吸血鬼が担ぐ木の檻に捕えられた明はグッタリと横たわって目を閉じている
熱が上がってきたのだろう
雅の屋敷につけば、いつか必ず逃げ出す機会がある

「お前もアレに魅入られたか」
不意にかけられた雅の声に驚く

「?」
言葉の意図を解りかね沈黙していると
雅は楽しそうに笑い声をあげた

「私はアレが愛しい。愛し過ぎて殺してしまいたくなるほどな」
心臓が凍るような冷たく低い雅の声音に
斧神は息を呑んだ

「お前にも楽しませてやる」
「雅様」

雅の非情さをよく知っている斧神は
どんなことをしても明の命だけは救おうと心に決めた

折り重なる山の向こうが白み始めていた




NEXT