白亜


刀を鞘に納め、明は背伸びをした
「あ〜…今日の修行、キツかった」

山の向こうに陽が落ちようとしている

「兄貴と修行してた時よりハードな気がするな」
愚痴をこぼしなら明は、同じく武器の手入れを終えた斧神を見た

「最近の師匠、何かにつけ村田を見習えって…俺だって一生懸命やってるのに」
不満気に口を尖らす明を見て斧神は笑った

「はは…お前の成長が目覚しいから期待しているんだろう」
「そーかなァ?」

だといいけど、と明は上着を脱ぎながら屈託無く笑った

斧神がレジスタンスに戻り仲間になって以来、明と共に山に篭り師匠の下
厳しい修行の日々を送っている

以前師匠の留守中に村を吸血鬼に襲われた経験から
修行が終わる夕方になると師匠は山を下り、村へ戻っていた


「なぁ、今日は俺がメシ作るから先に風呂に入って来いよ」
「…そうか」

風呂と言っても寝泊りしている小屋の横に流れる川で水浴びをするだ
明は小屋に戻ると薪を手に取ってため息をついた

斧神と共同生活して一ヶ月になる
なのに相変わらず例の被り物を外そうとしない

もっと信頼し合いたいと思っても目に見えない一線を引かれているような気がした

斧神と一緒ならあの雅も倒せる
それには相棒としてお互い心からの信頼が必要だと思っていた

慣れた手つきで釜戸に火を入れ、村人が届けてくれた食材を鍋に放り込む
(俺じゃなくて兄貴だったら…)
ふと前に斧神が兄貴を唯一心の許せる友だったと言っていたことを思い出した
(俺じゃ…ダメなのかな…)
明は無意識に再び深いため息をついた


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斧神と入れ替わりに入浴を済ませると早々に床につく
陽が沈み闇につつまれると何もすることがない
煌々と照らす月明かりが粗末な小屋の中に差し込む

薄い毛布を引き寄せ背中を丸めると
隣りで横になっていた斧神がこちらを向いた

「寒いのか?」
「……少しな、アンタは?」
「人間より丈夫だからな…これくらいで寒さは感じない」
そういうと斧神は自分の毛布を明に被せた

「ちょ…いいよ別に」
「風邪でも引かれたら困る」
「……吸血鬼の体っていいよな…」
単純に人間より強い生命力が羨ましいと思い口にしただけだったが
明らかに斧神の雰囲気が変わった

「斧神?」
「そんなことを言うな」
「……ごめ…ん」
自分の言葉が軽はずみだったことに気づいた明は口をつぐんだ

「あんな真似も二度とするな」
「あれはッ、俺は本気でそれでいいと思ったんだ!後悔なんかしない」
毛布を跳ね除け、斧神を見据える


仲間にはならないと断言した斧神と、再び刃を交えた
ほんの少しの油断が命と取りになる死闘に
明は目の前の斧神が兄、篤に見えた

(また、殺さなきゃいけないのか)

そう思った瞬間、明は斧神の血が付いた刃を自分の首筋にあてた
『俺の命をやる』
雅への忠誠心と俺の命と秤にかけろと強引に迫った
刃を刺した瞬間に斧神の血でウイルスに感染する
人間としての死
そしてこの島の命運が決まる
斧神にしてみれば好都合な話だが、もし、あの短い時間に生まれた友情を惜しいと思うなら
俺という存在が斧神の魂に少しでも刻まれているなら…それに賭けた



明の真っ直ぐな視線を避けるように斧神は顔を背け毛布を拾い上げた

「もう寝ろ。明日の修行にひびく」
「…斧神」
「何だ」

斧神は後悔しているんだろうか?
あんな脅すようなやり方で味方につかせたが…本当はこちら側に戻るのは本意でなかったのかもしれない
そう思うと胸が痛くなった
結局自分の我を通しただけだったような気がして
明は言葉を飲み込むと斧神のそばに横たわった

斧神の太い腕に頭を乗せ、その胸に顔を押し付る

「…なんのまねだ明」
「こうすれば暖かいだろ」
「……」
「よく兄貴が抱きしめてくれたんだ」

明は目を閉じ斧神の背に腕を回した
肌から伝わる温かさに安堵したとたん、眠気に意識が飲み込まれてゆく

温かい…

「明…」

斧神の低い声が心地いい

俺も兄貴のように斧神にとって唯一だと思われるようになりたい

斧神の腕がゆっくり明の体を包み込む
その逞しい腕に包まれて眠りに落ちた


斧神は静かな寝息をたてて眠る明を見て小さく息を吐いた

篤がどんな想いで抱きしめていたか知っている
『明がもう少し大人だったら…』
篤はいつもそう言って辛そうな笑顔を浮かべていた

そして今の自分も篤と同じだった
無邪気すぎる明には、自分を抱いている男が何を考えているか知る由も無いだろう

かすかな風の音と自分達の呼吸しか聞こえない
このまま明を閉じ込めてしまいたい

馬鹿げた妄想だとわかっていても願ってしまう

蒼く染まる部屋で斧神はいつまでも明の髪を静かに撫でていた


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翌日修行を終えた後
斧神が狩りから戻ると明は西山と談笑していた
たまに明の仲間が里から差し入れを持って遊びに来る
斧神はその度に楽しそうな明の様子を見ると胸が痛んだ

立ち尽くしていると、明と西山が気づいて近づいてくる

「斧神、それイノシシか?」
明が嬉しそうな声を上げて西山を見る
西山が心得たというように眼鏡を指先で持ち上げると、「豚汁ならまかせろ」と荷物から味噌を取り出した

斧神はドカリと囲炉裏の前に腰を下ろすと薪を折り火をおこす
明達は野菜や肉の調理をしていた

「っ」
突然明は小さな声を上げ指先を口に含んだ
「大丈夫か?明」
西山が心配そうに明の指先を掴むと傷口を見る
「ちょっと切っただけだ」
明の楽観的な口調に西山が眉をひそめる
「あのなぁ〜明、斧神と違って俺達人間はか弱いんだぞ?」
西山はブツブツいいながら救急箱から消毒液を取り出し、指の手当てをした
「…サンキュ西山」
「まったく、破傷風にでもなったらどうするんだ」
悪かったよ、と西山の小言を流すように明は再び調理にかかった

料理が出来る頃には日が沈み始めていた
西山が慌しく里へ帰ってゆくと、またいつものように二人だけになった

「…なぁ、斧神…それ、とって一緒に食べないか?豚汁」
明は遠慮がちに斧神に訊ねた

「……」
いつまでも無言の斧神に痺れを切らした明が斧神に近づく
手を伸ばし山羊の被り物に触れた瞬間
強い力で手を払われた

「!」
「触るな」

激しい拒絶に明は息を呑んだ
同時にこれまで内に溜めていた感情がせきを切って溢れ出す

「な…なんでだよ!?俺はアンタを信頼している!アンタも俺を信用してくれよ!」
「……」
問いに答えない斧神を見て、明は声を震わせて聞いた

「…後悔…してるのか?俺を選んだこと…」
「……そうだな…今は後悔している」

明は目を見開いて斧神を見た
胸に刃が突き刺さったような傷みが走る

言葉が出なかった

重い沈黙の後、明は踵を返すと小屋を飛び出した



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