Chapter I - 3

屋敷の奥へ進み、狭い渡り廊下を行く

次第に景色は手入れをされた庭から雑木林へと変わり
鬱蒼と生い茂る木々の中から粗末な庵が姿を現した

薄い板を荒く打ちつけただけの壁に、崩れかかった茅葺きがのし掛かっている

その庵の前で利家は足を止めた


暗い雲の下、雨に打たれ廃墟と化した家屋の暗がりから
何かがこちらを見据えているようで幸村はブルリと身震いをした
「…物の怪の住処のようだな」

「左様」
利家は幸村の何気ない一言を肯定すると中へと足を進めた

傾いた戸口を無理やりこじ開けると、じっとり肌にまとわりつくような
湿気とカビの匂いに政宗と幸村は顔をしかめた

土間は蜘蛛の巣が張り、白い埃が積もっている
履き物を履いたまま利家は居間に上がり、敷物もない床板に座った

「…ひでぇ所だな」
政宗は肩をすくめながらも利家にならって居間に上がり込む

幸村も黙って囲炉裏を囲むように腰を下ろす
舞い上がる埃に咳き込みながら辺りを見渡した

精々、三坪くらいしかない狭さに加え隙間風が吹き込み冷える

農民の家屋より粗末なこの庵に何の用があるのかと幸村が訝しがると
利家がゆっくりと口を開いた

「ここに、前田家当主…前田利久が住んでいたのだ」
「!?」

政宗と幸村は顔を見合わせた

「前田利久…慶次殿の養父が?」
「Ha!こんなあばら屋に当主だと?」

政宗が鼻先で笑う

利家は悲しそうな色を滲ませた目で政宗を見つめ
自嘲するように口の端を歪めた

「…某が追いやったのだ」
「…An?なんだと」


「某が兄、利久を当主の座から引きずり下ろし、ここに軟禁したのだ」



吹き付ける雨風がガタガタと傾いた戸を叩きつけた


******************************************


利家は淡々と語った



主である織田信長の下知にて
利久が突然当主の座を追われることになったのが全ての始まり…

代わりに当主の座に就いた利家は戸惑った

兄、利久は生まれたときから前田家を継ぐべく教育を叩き込まれ育ち、
逆に四男である利家は家督は無縁な為、野を駆け巡る自由な生活を送っていたのだ

故に武術には覚えがあっても政治には丸で疎い
当主としての教養や品格も兄には遠く及ばす、
当然家臣からは反発の声が挙がった

「…結局、お家騒動を避けるため兄上は当主の座をおりたのだ」

幸村も政宗も口を開かず、黙って聞き入っていた

「慶次の母と兄上との間に子が出来ず、次第に利久の跡継ぎは
慶次になるだろうと皆が暗黙に思っていた」

幸村は奔放な慶次からは想像もしなかった生い立ちに静かに息を吐いた
「…では、本来ならば慶次殿がこの地を治めるはずであったのか」

「慶次は頭が良く、武に長け、人柄も穏やかだ…
慶次は前田家の血が繋がってはいないが、他の兄上達の子を嫁に娶ればいい。
この小さな土地を強国から守る為、重臣達の間では
血筋より優秀な者に家を継がせた方が良いという考えが大半を締めていたのだ」

「…だが…良く大人しく身を引いたな」
政宗の呟きに利家は眉間のシワを深めた

「…納得など…してはいない」
「……」

少し沈黙した後、利家は言った
「兄上は大変誇りの高い男だった。当主の座を弟に追われ屈辱でないはずがない。
表面は普段と代わらず理知的だったが…目が…恐ろしく冷えていた」

幸村が反発するように問う
「だが!主の命なのであろう!?…ならば、仕方あるまい!」

「…兄上に子がなく血の繋がらない者に継がすわけにいかないと言う名目で
信長様の信用を得ていた某が指名されたのだが…それは表向き」
「?」

「信長様は兄上を恐れいたのだ」
「An?魔王のオッサンが恐れる、だと」

利家は鋭く政宗を見つめ返した

「兄上は体が弱く、前線で戦うことが出来ない。
だがそれを補って余る程の策に長けていた…
いずれ越後と同盟を組み織田を裏切る画策をしていたらしい」

幸村は越後と聞いて声を上げた
「…なんとっ越後と同盟を?!」


「なるほどな…越後、加賀が同盟を組めば海側が固められる。
加賀は京にも近い。下手な手出だしが出来なくなるってわけか…」

「なんと…大それた策を…」

「兄上は自分の体が思うように動かない事を嘆いていた。
丈夫であったな間違いなく戦国最強の武将になっていたはず…
そんな折り、文武に長けた慶次を養子に迎え
兄上の野望は一気に現実味を帯びた」


「魔王のオッサンがそれに気付いた…と言うわけか」

「…左様。当主を交代させ兄上と慶次をこの庵に軟禁させたのだ」

幸村は改めて周りを見渡す
「だが…裏切りを画策して軟禁で済むとは?」
「確固たる証拠があったわけでなかった上に
兄上は家臣から絶大な信頼を寄せられていた故、
前田家の反乱を避ける為、尤もらしい別な理由をつけ退陣に追いやったのだ」

幸村はふと利家の言葉を思い出し聞いた
「では、利久殿を追いやったのは利家殿ではなく織田信長であろう」

明朗な利家には似つかわしい卑屈な笑みを浮かべた

「…某は…正直なところ思いも寄らず転がり込んだ当主の座に喜んだのだ」
「……」

利家が喉奥で短く笑うのを見て幸村は口を噤んだ
「突然前田家を背負うことになり…某は本当に戸惑った。
のし掛かる重圧に逃げ出したい反面、当主という地位に喜ぶ己がいたのだ…
不本意ながら殿の命で前田家を継いだ形。仕方なく…だったが、心の奥底では…」

「それは…仕方の無いこと…男ならば野心は誰にでも…」
幸村は利家を擁護するように呟いたが
政宗はジッと見つめたままだった

利家はそんな政宗を見てハッとした表情になり、再び声音を落とした

「兄上はそんな某の心中を見透かしていた…殿にただ従うだけの犬と…
辛い様を装って実のところ兄が落ちぶれるのを喜ぶ、惰弱な魂の人間だと」

まるで呼応するように、戸口の扉がガタっと音をたて外れた
ギョッとして幸村が振り向く
相変わらずの雨風が斜めに入り込み、土間の入り口を黒く染めていた

「肉親である兄を支えるどころか、これ幸いと当主の座に飛びついたのだ。
某が兄上達を追いやったも同然」


「慶次の為に…全てを諦めたのか…」
「左様。兄上はお家騒動になり慶次が窮地に陥るのを按じたのだ
最初は、優秀な養子に己の野望をかけていた兄だが、
共に暮らす内に慶次を本当の我が子のように慈しみ大切に思うようになっていた。
だから、家も誇りも、何もかも捨て慶次と穏やかに暮らすことを選んだ」

「それが、何故あのようなことになったのだ」
幸村は呪詛の激痛に苦しむ慶次を思い浮べた


利家は沈黙したあと、角の小さな飾り棚の戸を開き埃にまみれた本を数冊取り出した
政宗は表題のない冊子に手を伸ばし、パラリと中を捲る

「…なんだ?こりゃ」
墨が擦れて殆ど読めない状態だった

「呪術の類が書き留められている」
「呪術…」
幸村は小首を傾げた

佐助がよく呪術に関する書物を読み漁っているのを見たことがあるが
武将である幸村はその類に疎い

「忍ならば詳しいのだろうが…」

眉根を寄せる幸村に利家は単刀直入に説明した

「慶次にかけられた呪いは餓狼という」
「…餓狼」
政宗が低い声でその名を繰り返す

「三つ。邪鬼・白蛇・餓狼の三つの呪いがある。日本古来から伝わる邪法で禁術とされている代物らしい。
餓狼は名の通り餓えた狼の如く獲物の息が絶えるまで喰らいつくす。
喰っても喰っても満たされず永遠に餓え続ける…」

「喰らう…つまり殺戮の限りをつくす、というわけか」
政宗の言葉に利家が頷き書物を閉じた

「某は詳しくわからんが、餓狼とは…
数匹の狼を一箇所に閉じ込め食物を与えずにいると、
その内共食いや餓死した死肉を喰らいはじめる」
「…それで?」
「生き残ったその最後の一匹を殺し、術者の血を狼の肉と一緒に
呪いを受ける者に喰らわせる」

幸村が不快そうに呻く
「…なんと惨い」
「無論、簡単に成功するものではないそうだ…術者の尋常ならぬ怨念が成させると聞いた」
「何故だ…慶次殿の為に己の野望すら捨てた男が
何故慶次殿にそのような外法を…」

「なんの呪いか…」
利家は独り言のように呟いた
「某とまつとの間にも子を授かることがなく…何時しかポツリ、ポツリと家臣の間でこんな話が出始めた」

「…?」

「慶次を…某の子にすれば良いのではないか、と」
「なっ…」
幸村が一瞬言葉に詰まる
「だ…だが!慶次殿は血が繋がらぬとう理由で利久殿と共に身を引くことになったのであろう!利家殿の養子になったところで…」

「それは大義名分と申したはず…家臣も薄々、信長様は私情で兄上を失脚させたに過ぎず
慶次はなんら関わりないのだと気づき始めたのだ…慶次が前田家を継ぐことに家臣達は元より乗り気だった上
秘密裏に上様へお伺いをたてたところ…構わぬとのお言葉を頂いたと…」

「なっ…そっそのような筋の通らぬことがっ!
それでは単に利久殿が気に入らぬという理由なのではないか!」

政宗は興奮する幸村と逆に冷静な面持ちで言った
「HA!要は失脚させる理由ならなんでも良かったんだろう。
反逆の証拠は掴めねぇ、単に気に入らぬでは家臣が納得しねぇ。…だから血筋を持ち出したまで。
頭のいい野心家な利久より意のままに動く利家を当主にしておいた方が都合がいい…」

言葉を切って、小さく舌打ちをした
「あんたらは利久から当主の座を奪い、唯一の拠り所だった慶次をも奪い取ろうとしたわけか…」
「左様…、流石に某は反対した。が…兄上は凶行に走った。
気が狂ってしまったのだ」

「………」

三人の間に湿った風が流れた

「餓狼と共に復讐するつもりだったのだろうが兄上の体がもたず…
某が見たのはここで横たわる兄上と血にまみれた口を開け泣き喚く慶次だった」
「…血肉を喰わさせた後だったのか」

頷く利家に政宗が問う

「慶次が首から下げてる御守りに餓狼を抑える符があるんだな」
「あれは、兄上が餓狼を制御する為に創ったもの…とは言え兄も誰ぞから聞いて創ったようだ。
某達は始め餓狼の存在を知らなかった。…秀吉、半衛、そして秀吉の妻寧々と慶次が親しかった時…」

幸村は秀吉の名に渦巻いていた疑念を一気にぶつけた
「豊臣と貴殿は敵同士はなかったのか!?」

「俺もそこのところを知りてぇな。前田利家、場合によっちゃ」
政宗が刀の柄をカチリと鳴らす
「この場で逝ってもらう事になるぜ」

「覚悟はしておる。某にできることは全てを話すことだけ…。察しの通り前田と豊臣は通じている」

「なっ!なんと!?」
政宗は立ち上がりかけた幸村の肩を掴み無理やり座らせた

「……豊臣が攻めてきたのは偽装か」
「信長様の目を欺く為、うわべだけの戦をしている…感ずかれぬよう攻め入る日などは決めておらぬ。
たまたま貴殿ら同盟の日に重なったのだ…」

「ぐっ、某達を欺いていたのか!?」
幸村は拳を震わせた

政宗が敵意を持って利家を睨みつける
「豊臣の勢力が増すなか、ここは一旦武田と手を組むのが得策と踏んだが…
全ては筋書き通りだったわけか」

「武田・伊達を一気に潰すつもりか!?」
声を荒げる幸村を利家が見返す

「今回の同盟を持ち出したのは慶次のはず。前田家は何の関係もござらぬ。
…慶次は…あれは何も知らんのだ。餓狼のことも、前田と豊臣が通じておることも」
「っ…、貴殿!何ゆえ主君である織田信長を裏切っておるのだ!
豊臣の勢力が増した故、鞍替えするつもりでか?!
貴殿には武士としての誇りがな…」

ダンッ!!
罵倒する幸村の言葉を断つように利家は拳で床板を叩いた

「守らねばならぬものがある。己の信念より、某には大切なものが。
前田家の存続と、加賀の民、まつと…そして慶次だ」
「……」
今までの苦悩に満ちた利家ではなく、目に強い意志を宿した加賀を治める者としての利家がいた
「その為ならば、某は何でもする。綺麗ごとでは大切なものは守れぬ!…幸村殿、貴殿もそろそろ分るはず」

幸村はぐッと唾を呑み込み、視線を落とした
このところ体調の優れぬ信玄に代わり指揮を任されることが多くなった幸村は、
一武将だった頃にはない重圧と責任の重さに上に立つ難しさを痛感していた

早く信玄の病が回復し、また以前のように戦場を…そう思うのは単に現実逃避だとわかっていた
だからこそ豊臣の勢力が増してきた今、一旦伊達と同盟を組もうと思ったのだ

この乱世を生き残るため、同盟や裏切りは恥ではなく策

幸村が黙ると代わりに政宗が口を開いた

「あんたらが手を組んでるとなると、俺たちの敵というわけだが…黙っていた方が得策だったんじゃねぇか?」
アッサリと豊臣との繋がりを告げられ、政宗は何か裏があるのではないかと疑った

「某は、加賀の当主として貴殿らに話しておるのではない。一人の男として。
貴殿らが…慶次の友だから話しておるのだ」
「……」

利家は突然誇りだらけの床板に頭を押し付けた
「政宗殿、幸村殿!頼むッ!慶次を」

ポツリ、ポツリと落ちる雫に二人は驚き、目を見張った

「慶次を、慶次を守ってくれ!」
「と、利家殿…ッ」
幸村が慌てて利家の肩を掴み、無理やり頭を上げさせる

溢れる涙を腕で拭うと、利家は鬼気迫る表情で訴えた

「餓狼の呪いを解くことは出来ぬ…せめて、あのような過ちが起こらぬよう友として
秀吉や半兵衛のように、慶次を守って欲しいのだっ」
「…あのような…?」

幸村が聞くと、利家は肩を震わせながら血を吐くような想いで叫んだ



「秀吉の妻、寧々を殺したのは……慶次なのだッ!!」



閃光が走り、天を裂くような雷鳴が轟くと地が揺れ動いた



NEXT