Chapter I - 2
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幸村と政宗は利家に案内され、屋敷の一室に通された
土に浸み込む血を洗い流すかのように降り続く豪雨のせいで
まるで真夜中のように屋敷内は薄暗く
灯された蝋の火が心許無く揺れている
別の一角で生き残った兵達の手当てがされているのだろうが、
奥座敷のこの場所までは微かなざわめきさえも聞こえず
ただ重苦しい空気が流れていた
利家は政宗と幸村に向き直ると、頭を下げた
「この度の件、申し訳ござらぬ」
幸村は眉根を寄せ辛そうに唇を噛む利家の顔をじっと見つめた
「…利家殿、頭を上げてくだされ。何故貴殿が謝るのだ?アレは一体…」
利家は幸村の問いには答えず、政宗に手を差し出した
「政宗殿、慶次のお守りをお貸しくだされ」
「……」
利家に言われて、初めて右手に握りこんだままだったことに気づき
政宗はそれを手渡した
「全ては…」
利家は前田家の家紋の入ったお守りを手に立ち上がった
「全ては某の欲が招いた結果」
加賀の地にて甲斐と奥州の同盟が成されようとした時
突如豊臣の大軍が押し寄せた
同盟の仲介役を担っていた慶次が超刀を手にしたのを見て
政宗は引きとめようと咄嗟に手を伸ばした
何かを引きちぎったと思ったのは慶次が日ごろ首から下げているお守りだったようだ
「…ところで慶次は無事か」
政宗の言葉に幸村もハッとした表情で利家を見た
阿鼻叫喚の殺戮に目を奪われ、政宗を振り切って
豊臣軍に立ち向かっていった慶次をすっかり失念していた
「慶次殿…先ほど運び出されたのは慶次殿か?ご無事なのか?!」
秀吉が死体の山から運び出した人間は衣服が裂けていたが
長い髪と背格好は慶次に酷似していた
「…慶次はここに」
利家が隣の部屋の襖を開くと
そこに秀吉の腕に抱きかかえられた慶次が横たわっていた
「豊臣秀吉!」
立ち上がった幸村を利家が制す
そもそも緊急事態とはいえ、利家が何故敵である秀吉を受け入れているのか
軍師の竹中半兵衛はアレを『餓狼』と呼んでいた事を思い出し
幸村は沸きあがる疑念に声を荒げた
「アレの正体を知っておるのか?!貴殿らは一体…」
「黙りな、真田幸村」
「っ…政宗殿!」
「今、順を追って講釈してくれんだろ、なぁ?」
政宗は鋭い眼光で秀吉を見据えた
利家は手にしたお守りを慶次の首にかけようとし、一瞬躊躇う
「…利家、餓狼が目覚める」
秀吉の言葉にグッと辛そうに眉根を寄せ意を決すとお守りをかけた
何が起こるのか、幸村と政宗が見守るなか
紙のように蒼白だった慶次の顔が苦痛に歪む
カっと目を見開き、喉奥から搾り出すような絶叫が響いた
幸村と政宗はただ唖然と
のたうち苦しむ慶次と
それを抱き抑える秀吉を見た
「ぐああああーッ!!!!」
「慶次!慶次ッ!」
利家が涙を流して苦痛に暴れる慶次抑えようとしている
「慶次殿ッ!」
慶次にかけよろうとした幸村を利家が阻む
同じくさすがに顔色を無くした政宗が利家の襟元に食いついた
「慶次に何をしやがった!」
「……これを」
利家が秀吉の腕の中で暴れる慶次の着物を肌蹴た
「!!!」
「なッ…!!」
その異様な物に二人は息を呑む
慶次の白い肌を墨で書きなぐったような無数の呪言がお守りから涌きだし
まるで蛇のように体中を走り回っていた
「…な…何…何だ…コレは…」
利家はギリっと唇と噛むと静かに口を開いた
「お守りの中の呪符が…餓狼を封じているのだ。
その時に慶次の中で餓狼が暴れ激痛に苦しむ」
「…餓狼ってのは何だ?」
政宗の問いに答えず、苦しむ慶次と抱きかかえる秀吉を残し
利家は二人を別室へ促した
閉じられた襖の先で慶次のうめき声が響く
幸村は立ち上がったものの、混乱する思考に動けずにいた
聞いたことのない、まるで子をあやすような優しげな声音で
秀吉が慶次の名を囁いているのが聞こえる
昔、豊臣秀吉とは親友だったと慶次が言ったことがある
それ以上慶次は何も話さなかったが
佐助の調べて慶次の想い人でもあり秀吉の妻でもあった寧々という女を
自分の野望の為に秀吉が殺害したという事実を報告で知った
慶次が時折みせる瞳の奥の翳りは
過去が未だ彼を苦しめているのだと幸村は了知していた
天真爛漫な素振りも、軽口も、全て完璧に装った偽りの姿だと理解してからは
慶次が笑う度に胸が痛んだ
「…慶次、殿」
秀吉と慶次は寧々の死を契機に絶縁状態だったと聞くが…
秀吉は慶次を嫌っていたわけではないのだろうか?
苦しむ慶次を自分の痛みのように抱き包むあの姿を見て
幸村は唇を噛んだ
喉を圧迫されるような重苦しい感覚に
ゴクリと唾を飲み込む
嫉妬や苛立ちを自覚し、深く、ゆっくりと息を吐いた
一体何があるのだ?
次第に慶次の呻き声が弱まってゆく
苦痛が和らいできたのだろうか
幸村は引き摺られる想いを断ち切るように
既に離れへと移動した利家と政宗を追った