Chapter I - 1
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ある日
兄である利久が再婚し
相手の女と連れ子が前田家に来ることになった
兄上は生まれつき体が弱く子を成せないかもしれないと言うことで
もしもの後継ぎとして男子がいる滝川の家の女を娶ったのだという
祝言の日
兄上と某は初めて女と連れの子を見た
母親の薄い桜色の着物の後ろに隠れていた子が顔を覗かせる
えらく白肌の華奢な子で、名を慶次郎と言った
どことなく儚げで
この子は某が守らねばと思ったのを今でもよく覚えている
それは兄、利久も同じであったようだ
だが兄上の目に保護欲とは違う異様なまでの執着が含まれていることに
その時は気が付かなかった
仄暗い眼の澱みに
へばりつく
邪鬼がいる
凍てついた指先に
絡みつく
白蛇がいる
汚濁した腹の中を
彷徨い歩く
餓狼がいる
「伏せろーッ!!」
竹中半兵衛の絶叫が響いた
「半兵衛!皆をッ!早くしろーッ!!」
血の気の失せたまつを腕に、利家が叫ぶ
「伏せろッ!餓狼だ!!ッ絶対に動くなッ!!!」
冷静沈着な豊臣軍の軍師が敵味方に関係なく、
有らん限りの声を張り上げている
『餓…狼?』
何が起こるのかわからないまま、政宗は唖然と立ち尽くしていた
幸村も同様に事態をのみこめず、
動揺する前田利家と半兵衛の姿を呆然と見つめる
強い力で頭を押され、二人は地面に突っ伏した
何かと見やると豊臣秀吉の大きな手の平が頭を押さえつけている
「なッ!なにをされるッ」
幸村が咄嗟に声を張り上げたとき
ピタリと風が止まり、土ぼこりがゆっくりと流れた
「動くなッ!決して動くなッ!!」
半兵衛の掠れた声がした瞬間ソレは始まった
ゴロンと何か黒い玉が秀吉に押し付けられた二人の前に転がってきた
ついで、ブシャーっと水が噴出すような音と共に地面が赤黒く染まる
辺りに絶叫が上がると、ソレは一層鋭い爪のような刃を振り上げ、
旋風を巻き上げながら
動くものを見境なく薙ぎ倒す
大量の血しぶきが霧となり視界を覆うほどになると、咆哮が聞こえた
瞬く間に何百という人だったものが肉塊となり地面を埋めてゆく
政宗達の前に血にまみれた兵が這い蹲ってきた
シュっと風を切る音がしたかと思うと、兵の上から銀色に輝く刃がドズンっと
頭蓋骨を突きぬけ地面に突き刺さる
政宗と幸村は初めて間近で半兵衛が『餓狼』と呼んだソレを見た
一瞬だけ
ソレはあっと言う間に、風を巻上げ刃を振るい生きとし生ける
動くもの全ての命を奪いつくした
地獄という言葉がある
まさに戦がそうだと思っていたが…
もはや原型を留めない肉片や臓器
血肉の生臭い匂い
人同士の争いどころではない、一方的な殺戮というものを
幸村は初めて見た気がした
竜巻のような旋風がおさまり、辺りが静まると
秀吉が立ち上がり死体をかき分けはじめた
遠くで半兵衛が利家と一緒にまつを屋敷の中へ運び込んでいる
「……」
無言のまま幸村と政宗は起き上がった
うす曇が流れ、真っ黒な重い雲が空を埋め尽くし、
ポツ、ポツと雨粒が落ちてきた
それはあっと言う間に大粒に変わり、滝のように降り注ぐ
秀吉が大切そうにソレを両腕に抱え、屋敷へ向かう
その後に続くように政宗が歩き出し、幸村も押し黙ったまま続く
ほんの小半刻の間の出来事だった