紅蓮の炎
『熱い!』
あれは…?
『熱いよ!お父さん!』
あの声は…
体を走る激痛と焦げた匂い
『痛いっ…助けて』
精一杯伸ばした幼い手は空を彷徨う
「う…」
久しぶりの悪夢に暫し放心する
襖の隙間から差す光に目を細め、布団から這い出した
起き上がると軽い眩暈がして
落ち着くのを待って部屋を出る
見かけた女中らしい女性に声をかけ井戸に案内してもらった
外は秋晴れで爽やかだったが、日はだいぶ高く昇っていて
皆忙しそうに働いている
「様、どうぞ」
女中のツウと名乗り、井戸の水を汲み上げてくれた
「あ、どうも…あのツウってどういう字?」
「え…あの…申し訳ございません、私…字は」
彼女は健康そうな頬を更に赤らめ目を伏せた
『あ…そっか、字書けないのか』
不躾な質問だったことに気づき、ごめんと謝った
勝手に感じの「通」という字を想像し、手拭をもって控える彼女に言った
「お通さんって呼んでいいかな?」
「はい!なんでも申しつけ下さいまし」
字か…そう考えると自分にこの時代の字が読めるとは到底思えない
『困ったな…』
ま、悩んでも仕方ないと気分を切り替え、冷水で顔をバシャバシャ洗った
冷たい水が気持ちいい
寄こされた手拭で顔を拭く
「な、お通さん、政宗のとこに案内してくれないか」
「はい、かしこまりました」
「あのさ」
「はい?」
「そんな丁寧な言葉じゃなくていいよ」
お通は目をパチパチと瞬きさせ、首を激しく振った
「いけません!そのような。丁重にお世話するよう言い付かっておりますので」
「そんな…俺、客じゃないのに」
「様、朝餉はまだですよね?後ほどお部屋におにぎりをお持ち致します」
『おにぎり…この時代におにぎりが存在するのか』
妙に感心しながら、微笑んだ
「ありがとう、お通さん」
「いえいえ…で、では政宗様のところへご案内致します」
お通さんは、顔を真っ赤にして踵を返した
彼女の背中を見ながら、後をついてゆく
見た感じ、高校生くらいの年齢だろうか?小柄で素朴な感じの子だ
部屋に案内されると、お通さんは頭を下げて引き返していった
「政宗、だけど」
「入れ」
返事を確認してから、そっと襖を開ける
そこは昨日の部屋よりずっと広い座敷で、上座に政宗
すぐ傍に小十郎もいた
政宗が機嫌良さそうに笑みを浮かべている
「よく眠れたか」
「ああ、お蔭さんで」
近くに寄って胡坐をかいて座ると切り出した
「なぁ、俺になにか仕事くれない?」
「An?」
「ただ飯食うわけにいかねーから、その分は働きたい」
小十郎が口を挟む
「お前、何が出来るんだ」
得意と言えば情報処理と大学で学んでいる法律
だがどちらもこの時代には無意味な知識だ
正直に言えば日本史もあまり詳しくない
間違っても体育会系ではない
こうして考えると、使えない人間っぷりが身にしみてため息が出る
「…料理…とか」
政宗は面白そうに持っていた扇子をパチンと鳴らした
「へぇ、お前料理出来るのか」
「ま、一応」
「武術は…出来ねぇよな」
「全然」
「小十郎、に武術と乗馬と字を教えてやれ」
「…御意」
小十郎は相変わらず無表情で俺の方を見もしない
政宗以外には関心がないと言わんばかりだ
それでも世話になるのは自分の方で…立場をわきまえ、宜しく頼むと小さな声で呟いた
見ると二人の間に紙が広げられている
覗き込むと、墨で書かれた日本地図らしかった
「へぇ、この時代に地図なんてあるんだ」
どこかの資料館で伊能忠敬が測量した日本地図の模写を見たことがあるがかなり正確な図だった
当然目の前の地図はそれよりずっと、大雑把なものだが…
政宗は扇子の先で、地図を指す
「ここがこの奥州」
次々に各武将が支配する国々を指し示す
「今、厄介なのは武田と上杉だ。その先に織田がいる、関東の北条と…徳川。どう攻略したらいいと思う?」
試すように政宗は鋭い隻眼で俺を見た
「…わかんねーよ。まず奥州の不利な点は京から遠いとこだ。半年も冬で経済活動が活発でない、西にくらべて人口も少ない
…尾張や甲斐の激戦地からの情報が入るのも遅い。余程うまくやらないと、天下なんて無理だぜ?
まずは芦名や最上、近隣を磐石にしてからの話…いや、北条と同盟を組んで武器と人員の確保を先に…まて、その前に」
「……」
途中から独り言のように呟いていた俺を政宗はジッと見据えていた
「その前に、おにぎり食ってくる。詳しい情勢がわからねーと判断できない」
「おにぎり?」
小十郎は初めてこちらを見た
「お通さんが作って持ってくるって言ってたから。飯食ったら、さっきのヨロシクな」
「ふん、随分肝がすわってるな。元の世界に帰りたいって泣きわめくかと思ってたぜ」
「別に…帰り方もわかんないし、誰も心配しないし」
「親が泣いてるぜ」
無意識にピクリ眼輪筋が引きつるのがわかった
「親?…泣くわきゃねぇよ」
『痛いよォ!!』
今朝の夢が鮮明に蘇る
落ち着いていた心臓の拍動が増す
「…?」
「俺を殺そうとした女が泣くわけがない」
ピシっと空気が張り詰めるのがわかった
「どういう意味だ」
政宗の低い声に、
ゴクリと乾いた喉を潤す為に唾を呑み込んだ
「別にどうでもいいけどな、そんな話」
俺は自嘲するとわざと大げさに肩をすくめた
「聞かせろ」
ドスの聞いた声と射抜くような視線を真っ向から受ける
空気読めよ、と返したいところだが政宗の目は真剣で、はぐらかすのは無粋なように思えた
「…俺が小さい頃、母親が男を作って…ま、元来男好きな女だったらしい。車…今でいうなら馬か?
暴走するように細工されて、事故に合った。大怪我して火に焼かれ父親は死んで俺は半死半生」
「……」
政宗は黙っていた
俺は立ち上がると背をむいて、着物をズリ下ろすとで左肩をさらした
「…醜いだろ?」
炎上した車の火で焼かれた痕は消えることなく残っていた
「俺や親父が死ぬと母親に大金が入るようになってんだよ。だから」
成長してから親戚から聞いた話だった
事故のショックもあって当時のことはほとんど記憶にない
他人事のような感じとして受け入れ、今まで生きてきた
『ああ…嫌な気分だ』
他人には触れて欲しくない部分だった
不意に気配を感じ、振り向こうとした肩を押さえられる
いつの間にか政宗が背後にいた
肩口に生温い感触
驚いて肩口に見ると政宗の整った顔があった
初めて間近で見る政宗の顔に、左眼に、釘付けになる
火傷の痕を政宗の真っ赤な舌が舐め上げる、その様に目を見開いた
「な…何す…」
「醜くなんかねぇ」
「…ぇ」
「コレは醜くなんかねぇって言ったんだ」
ちゅぅと唇で皮膚を吸い上げる感覚にゾクリと得体の知れない刺激が走り
俺は慌てて、政宗から離れ着物を着た
こちらを見つめていたらしい、小十郎と視線が合った瞬間
その目が戸惑うように少しだけ揺れた
「…」
「小十郎さん、午後からヨロシク」
再度、念を押すと居心地の悪さから逃げるように座敷を出た
与えられて間もないとはいえ、プライベートが確保できる自分の部屋は落ち着く
先ほどの鼓動も動揺も嘘のように収まっていた
昔から自分に『大丈夫、大丈夫』と言い聞かせると
海の荒波が、湖面のように鎮る
「ちょっと興奮しすぎたな…」
らしくない、と反省したところで、お通がおにぎりを持ってやってきた
「様、お待たせしました」
お通は盆を置くと手際よく茶を入れた
「ありがとう、いただきます」
昨日は小十郎さんが晩飯をもってくると言ったあと眠ってしまった
気をつかって起こさなかったのだろう…朝までぐっすりだった
「すごく美味い」
ほとんど丸一日ぶりに食った飯はとても美味い
「そうですか?」
お通は頬を赤らめた
「お通さんは何歳?」
「年ですか?15です」
「15?!若ッ」
もう2・3才上だと思っていた
とてもしっかりした子だと感心していると、今度はお通が聞いてきた
「様のお年は?」
「俺?俺は21才」
「まぁ!」
どういう反応かわかりかねるが、お通は驚いた顔をした
「政宗と小十郎さんは?」
「政宗様は19。小十郎様は29でございます」
「えッ!小十郎さん20代なのかよ!!」
へぇ〜っと言いながら、おにぎりを頬張る俺を見て、お通は小さく笑った
「なんだよ…政宗、俺より年下じゃん」
そう思いながらも一国の主としての貫禄と気迫は完全に自分の器を凌駕している気がする
「様は戦に出るのですか?」
少し顔を曇らせて真っ黒な澄んだ目でジッと俺を見つめた
『戦』
自分が戦をすることを微塵も想定していなかった俺は言葉を失った
『政宗様のお役に立て』
昨日の小十郎の言葉が蘇る
「う〜ん…わかんないけど。俺、武術やったことないから役に立つがどうか…」
「そう…ですか、でも今のところ奥州は戦もなく落ち着いているので、ご安心下さい」
そして、またニッコリ笑った
可愛らしい笑顔だと思った
そこへ、「入るぞ」という断りの言葉と同時に襖が開く
小十郎だった
お通は慌てて頭を畳につける
ギロリとお通に目をやると無愛想な声で言った
「…、ついてこい」
「ああ。ぁ!お通ちゃんご馳走様」
声をかけると、お通はピクっと肩を揺らしたままだった
長い廊下を渡り、城の外へ出る
雑木林で気を失ったので城外は初めてと言っていい
城門のあたりで「よ、小十郎」と気安く声をかけてきた男がいた
自分より少し年上だろうか
その男は俺の姿をみると「あ」と小さな声を上げ、へぇ〜と上から下まで見つめた
視線に戸惑いながらも一応挨拶をする
「あの…といいます」
「ああ!聞いてる。梵が拾ってきた奴だろ?俺は成実。政宗の従兄弟」
「従兄弟…」
と、いうことは身分が高いのだろうか
そのわりに、すごく親しみやすい雰囲気の男だ
「へぇ〜しかし、これは…」
成実は近寄ってジッと人の顔をみて、何を思ったか人差し指でグイっと俺の唇を拭った
『な、なんだ…』
米粒でもついていたのかと、成実を凝視していると
拭ったその指先を見て首を傾げた
「紅でも差してるのかと思った…」
「は?」
目を白黒させている俺の腕を、小十郎が引く
「成実、急ぐんでな」
「あ?ああ!またな」
しばらくグイグイ引っ張られるように歩く
城を下りた先に広大な畑が広がっている
ようやく腕を離され、入れ替わりに鍬を押し付けられた
「夕方まで耕せ」
「はあ??!」
目を見開く俺に、小十郎は冷たい視線を寄こす
「そんな基礎体力もねぇ細い体で武器がふるえると思ったら大間違いだ」
「え…いや、それは否定しねーけど…なんで畑?」
「これは俺の畑だ」
「……」
「政宗様の為に新鮮な野菜を作っている」
「……」
「早く耕せ」
「え…いやいやいや!!全然答えになってねーだろ!?」
その後は何を言っても完全無視で
小十郎は黙々と畑を耕し始めた
『マジかよ…』
渋々反対側の畑に鍬を振り下ろした
真っ赤な夕日が一面を照らす頃
ようやく鍬を置き、伐採された丸太に腰掛ける
隣の小十郎が寄こした竹に入った水をゴクゴク飲んだ
息が苦しい
腕の筋肉が…いや全身の筋肉と骨が痛い
手のひらのにマメが出来て血が滲んでいた
「はぁはぁ…あのさ、スッゲー、キツイんだけど…」
「これくらいで音を上げるんじゃねぇ」
自分の3倍以上の面積を耕しているはずの小十郎は涼しい顔をしている
「はぁ…くっそ」
悔しい。そう思いながらもう一口水を飲んだ
額の玉のような汗が米神を伝い落ちる
口の端の水を手の甲で拭った
「?…何」
小十郎の視線を感じ横を見ると、眉を寄せ不機嫌な顔があった
『あ』と思いつき
水の入った竹筒を差し出す
「悪ィ。まだ残ってるから」
「…違う」
てっきり水が飲みたいのかと思ったが違ったらしい
じゃあ、と再び思い当たったことを言ってみた
「しょうがねーだろ?初日なんだからよ…」
「違う」
畑を耕すスピードが遅いせいだと思ったがこれまた違ったらしい
「何だよ。言いたいことあんなら言ってくんない?」
「…お通とは、いや、政宗様以外の人間とは親しくするな」
「はあ?!」
「お前の為じゃねぇ。周りが迷惑するんだ」
「な…何だよそれ、どーゆー意味だよ」
一方的な言い分に不満より疑問が先立つ
「政宗様も」
言葉を一度切って、小十郎は話し出した
「政宗様も幼い頃、母君に毒を盛られ死にかけた」
ああ…そういえば、そんな話を聞いたことがある
「ご病気で右目がダメになり、痕が残った。父君も敵に殺されている。
お前とは境遇が似ている。だから…、わかるだろう?」
「何が」
俺の返答に小十郎は苛立ったように目を細めて見返してきた
「わからねぇっていうのか」
「は?…何言ってんだよ小十郎さん」
責めるような視線に苛立つ
「だいたい。俺と政宗は似てなんかない。全然違うだろ」
「同じだ。あの御方の根底にある闇を…孤独が、お前にはわかるだろう」
「ああ…そういうこと」
ふッと笑った
「ならやっぱり俺は政宗とは違う」
「…」
「信頼してくれる家臣とか守る民とか、たくさん溢れるだけ持ってるじゃねーか。
孤独…そりゃ、そばにいてくれる人間がいて初めて感じれるもんだ」
血の滲む手の平を口に寄せ、ペロリと舐めた
鉄の味が広がる
「俺とは違うよ…」
『…誰か…』
助けを求めて伸ばした手は空を彷徨う
やがて力尽き、その手を
俺は下ろした
喉が枯れるほどの叫びも空に吸い込まれ
いつの間にか口を閉ざしていた
「アイツにはアンタがいる」
山に沈み始めた陽が飴のように溶け出し
真っ赤に染め上げる
「似てないと思うけど?」
俺は困って小首を傾げた
「っ…!そんな風に笑うんじゃねぇ!」
「ぇ」
体を覆う、強い力
熱い体温と微かな汗の匂い
小十郎に抱きしめられてると気づくのに時間を要した
「ぇ…ちょ…なに?」
「黙れ」
ギュっと骨が軋むほど強く、両腕が背中と腰を引き寄せ
その厚い胸板に体を押し付けられる
「ね、…小十…郎さん、苦し…」
唇が小十郎の首筋にあたる
とても熱くて、とても心地いい
心臓の音が密着した胸を通して感じる
『俺の心音も伝わってるのかな』
昔
とてつもなく、人のぬくもりを欲しがったことがある
とても欲しかった時にそれは得られず、諦めてしまった
「小十郎さん…ありがとう、でも」
そっと、手に力を込めて胸を押しやると、抱きしめる腕が緩んだ
「俺はもう、いいんだ」
「……」
鼻先が触れそうなくらい間近で小十郎の顔を見上げた
『今日は政宗も小十郎さんもやけに近いな』
そう思ってクスリと笑った
今度は普通に笑えてるんだろうか、と思いながら言った
「小十郎さん、あんたは優しいねぇ」
哀れられたんだろうか、しかし不快な気はしなかった
強面なわりに根はいい人なんだなと思うと何か可笑しかった
風呂に入り夕餉を食べてしまうと、何もすることがない
明日からは陽が昇ると同時に畑仕事らしい
早めに寝て体力を回復しておかないと身が持たないなと
布団に入って目を閉じると意識するまでもなく
眠りに落ちていった
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