斜陽


話が途切れたその間を埋めるように、桜の花が舞った

「綺麗だねぇ…なぁ幸村!あんたもそう思わないかい?」
「え…そ、そうですな」

慶次は盃を傾けながらウットリと満開の桜を見つめ、目を細めた

正直幸村は慶次が言うほど花に価値を見出せない
美しいとは思うが、慶次がそのような顔をする程のものでもないと思う

だから、慶次の言葉が桜そのものだけを指すのではないことは
漫然と察することができる

が、では他に何があるのか?
その答えが分からなければ自分はいつまでも慶次が見つめるモノを理解出来ず
また自分自身も慶次に見つめられる事がないと分かっていた

「…慶次殿は何を見ているのでござる?」

幸村の問いに慶次は小首をかしげた

「え?…桜だけど」
「桜に重ね、他のモノを見ているのでござろう?」

慶次はハッとしたように目を瞬く

「幸には分かるのかい?」
慎重に、微かな期待のこもった声で問われ、幸村は眉根を寄せて顔をしかめる

「…分からぬ。分からぬのだ」

「そうかい…」

慶次はフぅと息を吐き、口元に笑みを浮かべた
おもむろに立ち上がると背伸びをし、空を仰ぐ

「いい天気だ!」
「慶次殿」
「大安吉日!桜は満開!さぁて風に吹かれるまま行こうかね!」

縁側の座布団で昼寝をしていた小猿が軽快に慶次の肩に飛び乗る

「慶次殿…どちらへ?」
「さぁてね!気の向くまま足の向くままってな…幸、じゃあな!」

「おっ、お待ち下され!」
幸村は思わず慶次の黄色い羽織の端を掴んだ
慶次は幸村の行動に一瞬驚いて、そしてニッコリ微笑むとそっとその手を解く

「離しておくれ虎の若子、なんてな。どうしたんだい?幸」
「…貴殿と出会ったばかりの頃は、なんと軟弱なことばかり言う御仁かと思った。
前田という立派な名がありながら武功を上げようともせず
こ…恋だのとそのような話ばかり」
「はいはいっと、もう行っていいかい?」
「まだ話は終わっておらん!」

幸村はいつの間にか強く握っていた拳をジッとみつめた

「最近は…よく分からなくなってきた。お館様のお役に立つことが某の生きがい。
それは変わらぬ…変わらぬが、それだけでない何かがこの世にはあるのではないかと思い始めた」

「……」
慶次は笑みを消し、無言のまま真剣な眼差しで幸村を見た

「それが何か分からぬ。慶次殿の見つめるモノも何か…早く気づかなければならぬような
それでいて、気づいてしまえば己が変わってしまうような気もする」
幸村は思いつくまま気持ちを言葉にする

「某はどうすればいいのか!?慶次殿の眼中に某がおらぬことが辛い!」
「…幸…村」

吐き出された思いを受け止めるように
慶次はそっと幸村を抱きしめた

「なっ!なっ!何をされる!」
「幸は変わらないよ」
「け…慶次…殿?」
「幸はソレに気づいても変わらない。いや…きっともっと強くなれるよ。
幸なら丸ごと包み込んで受け入れられる」

幸村は初めて聴く慶次の切なげな声音に耳をすませた

「恋をしな幸…人を恋う想いを強さにして、これからの時代を切り開くんだ。
決して弱みになんかならない。幸は幸の信じる道を違えず真っ直ぐ行け」

「慶次殿」
「うん?」

幸村は自分よりずっと身の丈のある慶次の背に腕を回した

「恋とは…心の芯が焼けるような苦しさと幸福で満たされることでござるか」
「…幸」

小さな旋風が花びらを舞い上げる

「…幸村、恋をしたんだな」
「そのようにござる」
「そっか…うん」

慶次は、幸村の日の光と炎で少し痛んだ茶色い髪を撫でて、うんうんと何度も頷いた






「またいつか、な」
「道中お気を付け下され」

屋敷の門へ歩き出した慶次が一度だけ振り向いた時
幸村はこの世の色彩が鮮やかに変わったのを感じた

花びらに包まれ、笑顔で手を振る慶次をこの腕に引き留めたい衝動にかられる

いつか、この手で彼の人が望むような世にできたなら
風のように諸国を巡らずとも一所に留まれるようになれたなら

「この幸村のそばにいて下され…」

小さな呟きは風に流れ、幸村は遠ざかる慶次の背をいつまでも見つめていた