紫苑-回顧-


あと1日…

明日の昼には葬式を終えた両親が帰宅する


昨日は薬を与えていないから、そろそろ効果も薄れてきたはず
弟の柔らかな髪を梳いて、強く胸に抱きしめる

初めて明を抱いた翌日、学校の帰りに例の友人の家に寄った
前に知り合いのツテで入手したと言う催淫剤の話を思い出し、譲ってもらう事にした
『ケッコー、キツイから…胃に何か入れてからの方がイイぜ』
『悪いな』
風邪薬のようなオブラートに包まれた粉末を受け取る
『で?誰に使うわけよ』
友人はニヤニヤしながら、興味深気に聞いてきた
『弟だ』
そう答えると、冷やかしの笑みを一瞬にして消し、目を見開いた
『…お前…』
掠れた声で呟き、青ざめる友に
『冗談だ。冗談に決まっている』と言い残し、弟の待つ家へ急いだ
食事に混ぜると数時間後には効果が表れ、明は呆気ないほど簡単に快楽に堕ちた

「明日には親が帰ってくるから、今まで通りにしているんだぞ」
「うん…」
「いいな、明。お前は俺のものだ」
「…う…ん…」

首輪の錠を外し、服を着せると弟の手を引いた
「?何処いくの」
「久しぶりに外に出たくないか?散歩でもしよう」

明に薬を飲ませてからは自分も学校を休み、三日間家に篭っていた
今日もいい天気だったのか、商店街は紅い夕日に染まっている
裏口の施錠をして商店街の通りに出た
弟の手をしっかり握り、歩き出す
「明…ずっと、二人でいような」
「…」
「明?」
明は哀しそうな顔で自分を見上げた
「…こんな事、しなくても…ずっと俺は兄貴が好きだよ…でも」
「……あきら?」
「でも、こんなのは変だよ…」

何…を、言っている?

薬が切れて性欲が引いたせいか?

「俺は兄貴のものだ。でも、こんなのじゃなく…」

理性が戻って急に禁忌を犯した罪悪感が生まれたのか…?

「支配とかじゃなく、普通のこ…」
「明…お前はわかってない」
「兄貴?」
「自分がどんなに他人を惹きつける人間なのか解ってない!」

明が離れてしまう
そう感じた瞬間、酷く動揺した
心拍が上がって頭が真っ白になる

戸惑う明を置いて踵を返した

どこで間違った?自分だけを求めるように巧く躾たつもりだったのに…
もう時間がない…どうすれば

キャーと細い悲鳴が聞こえ、顔を上げると前方から車が突進してきた
商店街の道路は車両侵入が禁止になっているはず
両脇の店に逃げ込む買い物客
蛇行しながら車が横を通り過ぎていった数秒後
ガッシャーンと衝突音がし、振り返る
車が靴屋のワゴンにぶつかって止まっていた

「……ぁ」

タイヤの横に、腕が見えた
さっき明に着せてやった黒いシャツが覗いている

「明ァ!!!!」


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「ホント、大したことなくて良かったわ」
母親がホッした口調で胸を撫で下ろす
「篤、かーさん達、着替えとりに戻るから明を看ててね」

明を取り囲むように幼馴染が見舞っている
救急に搬送され検査を受けた結果、特別深刻な怪我は見当たらなかった
頭部を殴打して、一部記憶が飛んでいること以外は…

明はこの一週間、それと担任の記憶を無くしていた
医者は外傷性のショックで記憶の一部があやふやになったり消えることは
たまにあるという
CTで異常もないうえ、日常に支障をきたす程の喪失でないなら問題ないということだった

あの一週間は明にとって忘れたい出来事で
無意識に記憶の奥底へしまい込んだという事なのだろう

空っぽになるとはこんな感じなのだろうか?
あの激しい恋情や嫉妬や焦燥が、跡形もなく消滅し、
ただ白煙のただよう焼け野原が広がるような感じだった

「お前マジで憶えてねーのかよ、補習ばっかやらせてた担任」
ケン坊が呆れたように明を見る
「あ…でも、この間辞めたんだよね、急だったから臨時職の先生が担任になってるんだよ」
ユキがリンゴの皮を剥きながら報告している
「風邪の方は大丈夫なのかァ?」
「うん?…多分」
明は曖昧に応えて、微笑む

学校に酷い熱で暫く休むと嘘の連絡をしてあった
寝込んでいると思っていたケン坊は、少し痩せてはいるが笑顔を見せる
明を見てホッとした様子だった

幼馴染の揶揄や励ましに笑う明を見て、急に不安になった
幸せそうに笑う明を自分が壊してしまう事が怖くて堪らなくなった
このまま、無かった事にして別々の道を歩んだほうがいいのでは、と
今までなら考えなれないくらい自分は臆病になってしまっていた
普通に女性と付き合い、普通に…

支配とかじゃなく…

明の言いかけた言葉

普通の…こ?…こ…

何を言いたかったんだ
今の明に聞いても応えてくれるわけもなく

こ……恋、人…みたいに?

浮かんだ単語にフッと自嘲する
そんな都合の良い解釈ばかりしてしまう自分に嫌気を覚えた


何故俺達は兄弟なのだろう
せめて血の繋がりがなければ、他に道があったのだろうか

本当に俺は明を手放せるのか?

救いの無い暗闇に包まれた深淵を彷徨うように
答えのない自問をいつまでも繰り返した





END