手紙
飴が溶けるように、大きく歪んだ太陽が地に沈む
「…なんのつもりだ」
「え…っと…」
夕暮れに染まる屋上で慶次は小十郎の真剣な眼差しに耐え切れず
引きつった笑顔を浮かべた
「だ…だから、片倉先生を…」
慶次は小十郎が手に持っている手紙を見た
自分が今朝早く、物理の新任教師である片倉小十郎の靴棚に忍ばせておいたものだ
『先生が好きです。放課後、屋上に来て下さい』
と短い文が書かれている
「せ…先生を…」
喉が渇いて声が掠れ、慶次はゴクリと唾を飲み込んだ
「…す…」
たった二文字が言えず、時間は刻々と過ぎ
禍々しいほどの陽が皮膚を突き刺す
後ろの貯水タンクに隠れているであろう学友の視線を感じ
心の中で激しく後悔した
昨日、物理の授業で抜き打ちテストが行われ
赤点だった者が放課後に補習を受けさせられた時だった
慶次の親友の元親が
真っ白なテキストの上でシャーペンを転がしながらぼやく
「慶次はいいよな…俺と違って頭のデキがよくてよ」
同じくほぼ白紙状態の佐助が賛同する
「そうそう、慶ちゃんってあの堅物のお気に入りだしね」
慶次はクラスで一番点が良かった
良かったので片倉に命じられ、補習の監視役をすることになったのだ
「お気に入りって…別にそんなんじゃないって!」
慌てて慶次が否定するので、佐助は口を尖らせた
「そう?だってさ、何かにつけ慶ちゃんを呼び出してるじゃない。もしかして…」
「な…なに?」
「あのオッサン、慶ちゃんに気があるんじゃないの」
佐助の言葉に慶次は口を金魚のようにパクパクさせた
呼び出しと言っても、授業の実験の下準備の手伝いなんかで、私用は一切ない
疑わしげな佐助をよそに、元親はシャーペンをカチカチ鳴らしながら頬杖をついた
「まぁそれはさておき、あのクソ真面目な物理教師も恋人の前じゃ
それなりに表情出したりするんだろうな」
「え…恋人って…」
何故かチクリと胸が痛み、慶次は元親を見た
「恋人の一人や二人いるだろー普通、なぁ佐助」
元親に話を振られた佐助は、う〜ん…と顔をしかめる
「どうだろうね…」
なんとかく、落ち着かない慶次の様子を見て佐助はニヤリと笑みを浮かべた
「そうだ!慶ちゃん、あの堅物教師に告ってみなよ!」
「はぁ?!!」
「一番可愛がってる慶ちゃんに告られてどんな顔するか見てやろう!」
「おッ!!面白そうじゃねぇか!」
唖然とする慶次をよそに、元親と佐助は意気投合して算段をしはじめた
「ちょッ!待てって!ヤダぜ俺は!」
ガタっと音をたてて椅子から立ち上がった慶次を佐助が見上げる
「慶ちゃん、別にあのオッサン好きなわけじゃないでしょ」
「もッ…もちろん、そうだけどッ」
「ならいいじゃない?本気に受け取られたら冗談でしたぁ〜って言えばいいわけだし」
「そんな冗談…良くないって…」
元親は、視線を落とす慶次に言った
「お前に告られてあの堅物がどんな反応するか知りたくねぇか?」
「………」
高鳴る鼓動で思考が停止する
たった一言
「先生を…す…」
遮るように頭上で鴉が間の抜けた声で鳴いた
グシャリと握りつぶされる手紙
「くだらない真似をするな」
「え…」
クシャクシャになった白い便箋がポトリとコンクリートに落ちる
背を向けた小十郎の後ろ姿が消えるまで見つめた後
慶次は転がる紙くずを拾い上げた
『ああ…俺』
授業でわからなかったとこを放課後居残って教えてもらったり
実験器具を二人で下準備したり
大勢いる生徒の中で名前を呼んでもらえることも
『もう…ないんだろうな…』
「なーんか、普通の反応でつまらなかったねぇ」
「まぁ、本気にされても困るけどな…慶次、カラオケ行こうぜ」
佐助と元親が貯水タンクの裏から現れて慶次に声をかけた
「あ、ああ、うん。あ、でも…ちょっと用事ある、ごめん!」
慶次は背を向けたまま早口で答えると、駆け出した
夕闇が迫る屋上に残された佐助と元親は顔を見合わせる
「慶次の野郎、泣いてたな…」
「……ま、しょうがないよ。チカちゃんだってアイツに慶ちゃんとられるのヤでしょ?」
「そりゃそーだけどよ…」
佐助は元親の背中をポンっと叩いた
「先手打っといて良かったって思うよ。慶ちゃんが自分の気持ちを自覚する前に」
「……」
欲しいものを手に入れる事に貪欲になりきれない元親は
ガシガシと頭を掻きながら溜め息を漏らした
「とりあえず、慶次を追うか…」
「そ。慰めるのは俺たちの役目ってね」
「お前ってクールだな…」
元親は呆れ半分で佐助を見る
「俺は慶ちゃんに本気なんだから当たり前だろ?
大事なものを守るのに手段は選ばない主義」
佐助は切れ長の涼しげな目で、優しい微笑みを浮かべた
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涙で顔をぐしゃぐしゃにした慶次が校門を飛び出すのを
校舎の影で見ていた小十郎は
チッと小さく舌打ちをし、拳を強く握る
貯水タンクに隠れてこちらを覗き見る他の気配に
初めてからかわれたのだと気付いた
半信半疑だった手紙の言葉が本心なのか
もしそうなら当然拒否すべきだと思った反面
無意識に嬉しく思う気持ちが確かにあった
悪ふざけならそれでもいい
だが、冗談だったなら何故あんな顔をする?
握り潰した手紙を見つめながら
ポロポロと涙を零す慶次を思い出し、校舎の壁に挟まれた
狭い空を見上げた
闇が濃さを増してゆくように
小十郎の心に暗い想いが広がっていった