Chapter I - 5
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「何…真田の野郎、反故しやがったのか」
政宗の従兄弟にあたる成実はよく似た美貌に薄い笑みを浮かべ
睨みつける小十郎に対し肩を竦めた
「俺を睨むなっての。黒脛巾の報告じゃ、
化け物が出てそれどころじゃなくなったらしい」
「何なんだその化け物ってのは」
小十郎は眉間の皺を一層深くした
「知らねぇよ。獣のような長い爪に髪、赤い目の化け物だってさ」
「ふざけた事を言うな!」
「だからぁ、俺に言うなって。忍の言うことだからそのまんまなんだろう」
飄々と成実が切返すと小十郎は顔を曇らせ押し黙った
成実が政宗の護衛についていた黒脛巾から報告を受けたのがつい先ほど
小十郎は事実を把握しきれず困惑していた
「政宗様はご無事なんだろうな」
「ああ。別に怪我もないみたいだぜ?
加賀の天候が荒れてて今日中に戻れねぇって話だ」
「真田の餓鬼もいるのか?」
「…だろうな」
小十郎がチッと舌打ちをしたのを見て成実は鼻を鳴らした
「心配なら迎えに行けよ。俺が城の留守を預かる」
「……」
「また化け物が現れて伊達家の当主に何かあったら一大事だろ?」
成実の進言に小十郎は暫し考えた後、刀を腰に差した
「すぐに戻る。成実、留守を頼むぞ」
「ああ」
成実は乱暴に襖を開け駆けて行った小十郎を見送ると
口元の笑みを深くした
「相変わらず甘い奴だ」
静寂の中、ひとり呟くと
広い座敷の片隅にあった鏡の布を払い、映し出された己の顔を見つめた
「忌々しい…」
従兄弟であり主である政宗と瓜二つの容貌に
成実は目を細める
『お前は政宗の影武者になれ』
父に言われた言葉が不意に蘇った
「俺は…」
『いざとなれば、お前が政宗の身代わりになるのだ。いいな成実』
ただ、父親が伊達家の長男でなかっただけ
たったそれだけで、生まれた子が片や奥州を治める伊達家の当主
片やその影武者…
『お前が死んだとしても、政宗だけは守らねばならん』
ピシッ!!!
成実は拳を振り下ろし鏡を割った
「俺はアイツの代わりじゃない」
血の滲んだ手を舐めながら、成実は再び薄い笑みを浮かべた
「焦るな…時期を待つんだ」
****************************
………
……
…
闇を漂っていた意識が不意に覚醒した
傍らに小十郎
目の前に…母上がいる
母上に会うのは何日ぶりだろうか…
そう思って政宗は気がついた
これは夢…いや、幼い頃の己の記憶だ
自分を見るあの女は…本当に母上なのか?
まるで下賤な者でも見るかのように目を細め、顔を歪めている
やがて、傍にいた弟に微笑むと連れ立って部屋を出て行った
『母上!母上!』
追いすがろうとする俺を小十郎が抑える
『母上っ…』
頭を叩き割られるような高熱に苦しみ、ずっと母の優しい温もりを求めていた
なのに何故
やっと会うことが許されたのに
優しい母上がまるで別人のような冷たい眼をしていた
泣き喚く俺を小十郎が抱きかかえる
『政宗様、気を強くお持ちくだされ』
病から回復してから初めて鏡に写る自分の姿を見た
顔の右側の皮膚が醜く歪み眼球が濁っていた
包帯が取れ、右眼が失明していることに気づき
ああ…なるほどと合点がいった
母上は俺が醜くなったから嫌いになったのだ
いつも俺の容姿を自慢していたから…
不思議と気持ちが冷めていた
母上は俺を好いていてくれたのではなかった
端正な容姿をした伊達家の嫡男
その母である自分を愛していたのだ
『あの白く濁った右眼…気色の悪い』
『伊達家は弟君が継がれた方が良いのではないか』
親族や家臣の中に容姿を誹謗する声がやがて跡目にまで及びだした
『政宗様、この小十郎が政宗様の右目になりましょう』
『生涯政宗様をお守り致します』
小十郎…
たった一人
部屋に隠るようになっていた俺に小十郎だけが変わらず、
いや以前に増して寄り添い励ましてくれていた
小十郎…
『政宗様ッ!』
く…苦しい…ッ
喉がッ
胸が焼けるような痛みにのた打ち回る
ゴボッと濁った音と共に吐き出した
一面に広がる血の赤い色と小十郎の叫びが意識と共に薄れゆく
何が起こったのか理解したのは、目が覚めた10日後だった
母が弟に家督を継がせる為、俺に毒を盛った事を知った
月明かりの差す部屋で一人
鏡の前に立ち、用意させた眼帯で右眼を覆った
毒に蝕まれ疲弊した薄っぺらで青白い己の肉体を見ていると
自然に喉奥から笑い声が漏れた
殺さる…
殺さねば、俺が殺される
何もかも奪われ
挙げ句に殺される
「はは…はははっ…」
月の煌々とした金色の光を浴びて腹の底から笑った
弟の分際で嫡男であるこの俺から家督を奪うだと?
片目を失った出来損ないは死んでしまえと言うのか?
「ははははははッ!!」
呼びつけた小十郎に命じた
「母上と弟を殺せ」
許さねぇ
『許さぬ…』
不意に別の声が響いた
地を這うような低い
怨念に満ちた声が己の意識と重なる
この声は…誰だ…
『許さぬ…某から大切なものを奪う輩は全て殺す』
そうだ
俺の大切なものを奪う奴は殺す
『…慶次…』
慶次…?
前田慶次
不信が渦巻いていた己の心に突然差した光
咲き誇る花のように艶やかで、そして強く
一片の曇りもない魂を持つ男
『政宗、俺がお前の友になってやる!』
一夜にして咲いた桜の花と共に現れ
幼子のように屈託ない笑顔で俺を見つめ言った
『だからさ、そんな暗い眼すんなって!な、政宗』
慶次…
太陽のような明るい笑みが冷たく凍っていた心を溶かしてゆく
慶次
『慶次』
慶次…俺の…
『某の…』
****************************
「旦那」
「む…」
幸村は耳元の声に眠りから覚めた
「旦那、起きて」
「ん…、佐助、か…?」
妙に重苦しい体を無理やり起こし瞼を擦る
「旦那、来てくれ」
「佐助ぇ…すまぬ、同盟が…」
長期任務にあたっていた佐助は今回幸村の警護についていなかった
幸村は佐助が餓狼の報告を部下から受け、急遽駆けつけたのだと察した
現状を説明しようとした幸村の口を佐助が素早く手で覆う
「静かに…黙ってついて来てくれ」
「う…うむ」
分けが分からないまま幸村は寝間着の襟口を合わせ直しながら立ち上がり
佐助について部屋を出た
雨は上がり、真っ黒な雲の合間から時折満月が覗いている
シンと静まり返った廊下を進むと幸村は首を傾げた
「…佐助……そちらは慶次殿の寝所だぞ」
「……」
佐助は幸村の問いかけに答えず懐から巻物を取り出した
月光に照らされた佐助が忍の険しい顔になっていることに気づき
幸村はハッと息をのんだ
「旦那…」
「…」
慶次の部屋の前で立ち止まると
幸村は佐助と視線を交わし、無言で襖を開いた
暗い部屋の真ん中
「…!…ま、政宗殿?」
幸村は横たわる慶次に覆い被さる黒い塊を凝視した
「政宗殿…か?何をされておるっ」
幸村が足を一歩、部屋に踏み入れると黒い影はゆっくりと上半身を起こした
「ッ!!」
こちらを向いた政宗の顔に幸村は目を見開いて息を止めた
満月の光が照らし出した政宗の隻眼は赤黒く輝き、幸村を見据えている
『…貴殿…真田源次郎幸村殿か…』
「!!」
薄く開いた口から漏れた声は全く別人のもので、
幸村は弾かれたように素早く床の間の刀を手に取ると鞘を抜き、刃先を政宗のへ向けた
「何者だ!慶次殿から離れろっ!」
ビシッ!と部屋の柱が軋み、空気が張り詰める
瞬く間に空気が重苦しく変わり、目に見えぬ何かが体を縛り付けてゆく
「ぐっ…!貴様ッ…慶次殿から離れろ!」
『真田殿』
端正な顔にニヤリと笑みを浮べると立ち上がり、一歩後ろへ下がった
人外な赤黒い眼が心臓を突き刺すようで、
幸村の額に大粒の汗が浮かびあがる
「ぐっ…!」
「旦那ッ!伏せろっ!」
佐助の声に幸村は反射的に身を屈めるとその瞬間白い閃光が走った
「佐助ッ!」
「縛!」
佐助が素早く印を結ぶとクナイで貼り付けた部屋中の符が光を放ち、政宗は動きを止めた
「捕らえたぜ!化けモンッ!!」
佐助は叫ぶと封を破き巻物を広げた
その中心に呪文のような文字が浮かび、目が眩む程の強い光に包まれる
「これで終いだ、くたばれッ!!」
突然疾風が走り、渦を巻いて猛烈な風があらゆる物を巻物の中心へ吸い込み始め
幸村はとっさに慶次に飛びついた
「っー!!」
襖や建具が飛び、屋敷の柱に亀裂が入る中
忍を睨んでいた政宗はフッと口元を歪めた
『…愚かな』
政宗が血に濡れていた手の平に息を吹きかけると飛び散る血が形を変え、
無数の黒蝶となり巻物に張り付いてゆく
「なっ…何ッ!!」
光を塞ぐように黒い蝶が部屋中を埋め尽くすと
巻物が爆音と共に発火し、術が破られた勢いで佐助は吹き飛んだ
「ぐあッ…!」
「佐助ぇッ!!!」
柱に叩きつけられ苦痛に顔を歪める佐助を見て
政宗は楽しそうな笑い声を上げた
『…ふふ。今宵、この満月の夜に…再び得たり』
政宗はゆっくりした動作で慶次に近づく
「来るな!化け物!」
幸村は慶次を抱えたまま臆することなく政宗の赤黒い眼を睨んだ
『真田殿…貴殿は慶次に恋心を抱いておるのだろう?』
「な…」
とっさに顔を赤らめる幸村に政宗は笑みを深くした
『さすれば某と貴殿は同胞…貴殿も慶次の為にその力を奮うのだ』
「慶次殿の…為…?」
『左様…』
佐助は口に溜まった血を吐き出し叫んだ
「旦那!奴の眼を見るなッ!話をするんじゃねぇッ!!」
『さぁ、真田殿…某の手を取れ』
「…っ」
幸村の次第に意識が薄れてきた時、
利家とその家臣が部屋になだれ込んできた
「今の爆音は何だ!? け、慶次!慶次は無事かッ!?」
半壊した部屋の有り様に利家は青ざめた顔で叫ぶ
『…利家か』
「なッ、まさむ…」
『相変わらず落ち着きのない男よ…』
利家は目を見開いて立ち尽くした
「その声…ま…まさか…」
屋敷中の灯りがともり、蜂の巣を突いたような騒ぎになると
突然政宗がバタリと糸の切れた人形のように倒れた
唖然とする利家を押しのけ
佐助は政宗に駆け寄ると頬を強くひっぱたく
「竜の旦那!しっかりしろッ!」
「う…う…」
政宗の隻眼が薄く開いた
「う…ッ…ここは…」
幸村も慶次を抱きかかえたまま、政宗の肩を揺さぶる
「政宗殿!正気に戻られたか!」
「…幸村?…いったい何が…」
青ざめた顔でこめかみを押さえる政宗を見て佐助はホッと息を吐く
「…とりあえず部屋に戻ろうか」
「佐助。アレは何だ」
幸村は険しい表情で佐助を見上げた
その問いに答えるように利家の口が動く
「……」
「?…利家殿」
余りに小さな声に聞き取れなかった幸村が利家に視線を向ける
「慶次」
利家は色を失った顔で突然幸村から慶次を奪い取った
「とッ…利家殿?!」
「幸村殿、慶次は某の部屋へ連れて行きます故、貴殿も部屋へ戻られよ」
「……だ…だが…」
佐助は戸惑う幸村の腕を無理やり掴み、引き摺るように連れ出した
「さ!佐助ッ…!」
風は止み、雲の消えた黒い夜に闇を切り取ったような丸い月が浮かんでいる
幸村は無言で歩く佐助の手を振り払った
「佐助ッ!」
「…何?旦那」
佐助は幸村を見ずに、月を見上げた
「アレは何だ!政宗殿に取り憑いていたあの声は!」
「…今宵この満月の夜に……か」
「…佐助」
利家の呟きを忍の耳はとらえていた
「旦那、アレは…慶次の養父、前田利久だ」